太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム

西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(25)

 

 

平成1816()17()18() 松山C専3年目

 

●私、今年の祭りは喪中であります。喪中での祭りとの関わり合い方については様々な手法を考えましたが、考えがまとまらないまま本番に突入してしまいました。

 

●初日の八旛神社統一氏参りですが、去年は到着が遅れたために途中からしか見られませんでした。今年は失敗しないように早々に出かけますと、午前7時半ごろには川東に入りました。早くも西沢津バス停近くの三叉路に東雲太鼓台の姿が見えました。更に東を眺むれば、たまもタクシー交差点には澤津太鼓台が居るようです。今年はここからと、近くに車を置いて八旛さんまで歩いて行くことにしました。

 

●澤津太鼓台は交差点を北進し、松の木町方面に進みます。松の木自治会館から出てきたばかりの松乃木太鼓台と早速の棒合わせです。松乃木太鼓台は天幕の旭日部分が去年と比べて小さくなったような気がしましたが断言はできません。2台でたまも交差点にとって返し、待っていた東雲太鼓台と合わせます。

 

●下原交差点は例年ならば宇高が出てくるところ、今年は自粛のためその姿はありません。3台は八旛西まで進行しましたがまだ8時くらい、少し進行が早いようです。

 

●八旛さん横の浮島自治会館に浮島太鼓台の姿は見えません。きっと垣生組と連れ運行をしているのでしょう。じっとして居られないので、垣生元えびすセンター前まで行ってみることにしました。何か心の中は最終日昼下がりの雰囲気です。法泉寺方面から青い法被の町太鼓台を先頭に4台並んでこちらへ運行中でした。今年も会えたよ町太鼓台、感激です。太鼓台群は北折して神社を目指します。

 

●高津組も八旛を超えて東までお出迎えのご様子です。先頭は澤津、次が松乃木で最後が東雲です。町と澤津が出会って早速交わります。幸せの棒合わせ、私はこの一瞬が大好きです。今年も生きてて良かったと思います。

 

●宮入りは垣生組からです。旧県道で役員が何やらヒソヒソ話をしています。本郷と澤津が参道を挟んで東西に対峙したかと思うと、お互いの旗が縦に振られました。何と本郷と澤津の棒合わせが目の前で展開されています。お互いを尊敬しつつも頑なまでに意地を張り続けてきた(ように思えた)両太鼓台でしたが、ついに今年は棒合わせです。第一撃はどちらも少し表情が硬かったですが、それでいて棒先はしっかり普段より下向けでした。今年は最初から良いものばかり見せてもらっている。実に嬉しい。

 

●宮入り後も棒合わせ大会は続きます。境内東に陣をとった本郷が高津の各太鼓台と合わせます。本郷が終われば山端の出番です。澤津と合わせて、松乃木と合わせました。さてその次は、注目の山端と東雲が対面しています。八旛神社の全ての目が指揮者の旗先に注がれます。構える指揮者、腕、肩、腰、足に力が入るのが分かります。暫く時が止まりましたが、ここはスルーでした。今年は平和運行かなと思いました。

 

●7台が本殿前に並んで氏参り神事が始まりました。私は、せめてもの喪中のけじめとして、神事中は本殿に背を向けていました。

 

●帰り路、文化センター付近で新営の口屋太鼓台に遭遇接近しました。遠くからしか見えませんでしたが、天幕模様が緩やかな曲線を描いていて斬新です。重旗が日の丸で白い感じ、括りの巻き布も幕の貫きも指揮者の手旗まで白です。幕は縫いの凹凸がはっきりしないような印象を受けましたが、果たしてこの幕の実力や如何に。

 

中日です。午前中は河川敷ですが、統一行動は下原バス停三叉路からです。太鼓台群はここから宇高路へ入ります。宇高自治会館前では宇高太鼓台の法被を着た人も出て全ての太鼓台に拍手でのお出迎えです。自粛する太鼓台の法被には違和感もありますが、微笑ましくもありました。

 

●太鼓台の列は更に東雲方面へ進みます。新居浜東高では体操服姿の女子高生群が門扉にへばりついてキャーキャー言っています。にっこりする舁き夫たちに、最低でもあと一世代間は新居浜太鼓祭りが健在であることを実感しました。

 

●次に、列は北進して松の木入りです。たまもタクシー交差点から松の木自治会館までの飲食店が並ぶ小路はとりわけ狭く太鼓台運行の風情を感じる場所です。いい感じで通過して、自治会館前での御華&花束です。

 

●河川敷では例年どおりのコースで入場しましたが、澤津だけがすんなり入ったものの後は苦戦です。舁き競べも澤津が抜群の強さを見せました。優勝は澤津でしたが、場内での発表はありませんでした。「競べ」と名乗っておきながら会場内で結果発表をしないのはじれったさが残ります。

 

●例年ならば本郷が落としたところで宇高に向けるのですが、今年は音なしです。ますます今年は平和運行だなと思いました。

 

午後は、何故かリーガ前に居りました。口屋太鼓台を見分するためです。昨日は遠くからだけでしたが、今日は目近で見ることが出来ました。近くで見ると縫いそのものはなかなかの出来ではないかという気がしてきました。しかし、乳の符号の模様文字と縁取りには随分違和感があります。

 

●統一行動そのものは、会場内は特設有料観覧席が設けられ、敷地内には一般客は一切入れないという川西らしくない趣向でしたが、結果は散々だったと思います。北側の観覧席が壁になってしまって会場内が全然見えません。南からも太鼓が邪魔になって演技の太鼓台が見えません。太鼓台を見に来たのに隔してはいけない一線を隔され臨場感を奪われた感じがします。太鼓台の行動だけが有する独特の雰囲気と言いますかどきどきワクワク感が全然ありません。

 

●新居浜太鼓祭りは、舁き夫と観客、する者と見る者が文字通り渾然一体となって祭りを造り上げているのです。これこそが新居浜太鼓祭り最大の魅力なのです。

 

私にとりましては、今年の祭りは喪中でした。最終日の八旛さんは、日程上すべてが神事みたいなものですから、はじめから不参加と心に決めていました。会社でこっそりネット中継を見たり、知り合いからの祭り電話報告を受けたりしていました。平和な閉幕を予想していたところに驚き速報が飛び込んできました。

 

町太鼓台が、午後の統一行動をキャンセルすべく、八旛神社に前参りした後、田の上は榎之本広場に猪突の如く猛進し、自主解体を決めていた田の上太鼓台と戦闘状態に入ってしまったとのことです。

 

●ネット中継では、平和な雰囲気の一宮神社境内の画像が、何かをきっかけに一転し緊急事態発生の模様、江口太鼓台が突然、除車のまま宮を出てどこかへ行ってしまいました。

 

●後日、ビデオで、町は田の上と激しいケンカを展開したこと、前日の多喜浜駅前統一行動で厳しい挑発行為があったこと、江口は久保田自治会館前まで運行したことを知りました。

 

●新居浜署は、町太鼓台関係者5名を逮捕しました。容疑は暴力行為等処罰に関する法律違反のようです。そして、新居浜署は、町地区と田の上地区の両太鼓台同士の小競り合いによる鉢合わせで、他人の器物を損壊した両関係者合計10名を同容疑で、また、事前に道路使用許可を受けていたコースを無視して運行した江口太鼓台関係者5名を道路交通法違反容疑で、それぞれ1124日、松山地方検察庁西条支部に書類送検しました。

 

●東浜太鼓台が、初日だけ青白縞の天幕で登場したとの噂があります。新居浜でのセカンド天幕初登場です。また、法被の裾模様も変更されており、一般にいうところの石橋(東浜太鼓台では護良親王の別姿としている。)をあしらったデザインになっていました。

 

●八旛神社宮入りは規模が縮小され、本殿廻り無しだったそうです。いくら何でもこれはいただけません。本氏子だけでも回らせて欲しかったと思います。

 

2006

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(天気表出典goo松山の過去の天気)

 

 

 (010823令和上梓)
(010901
天気加筆)
(020812
体裁変更)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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