太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム

西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(26)

 

 

平成1916()17()18() 松山C専4年目

 

●今年はご覧のとおりの平日開催です。学生時代なら休みも自由、会社勤めでも若いうちなら年次有給休暇も比較的とり易いのですが、年齢が50も超えてしまいますと自然とある程度の責任ある立場になってしまい、そう簡単には好きな時に休暇も取れません。こちらが配慮してあげなければならないのです。今年は我慢です。新居浜の男達は皆こうして我慢の歴史を重ねてきたのでしょう。でも、またチャンスもあります。定年になって好き放題祭り見物が出来るまであと少しの辛抱です。

 

●そういう訳で今年は新居浜太鼓祭りには出向けません。西園寺太鼓台の完全運休は昭和54年以来、実に28年ぶりであります。しかしそれでは1年間の体内カレンダーが言うことを聞いてくれません。そこで、悔し紛れに14日土居祭りを見に行きました。よくぞ新居浜太鼓祭りと日にちをズラしていてくれているなと思います。これがなければ新居浜スタイル太鼓台を見るチャンスがありません。

 

●土居の海通橋には多喜浜駅から電車で行くことにしました。松山から多喜浜まで車で来て多喜浜駅からJRです。過去に車で行って退場の際に往生した覚えがあるからです。日曜日なのでかなり混雑するものと予想していたのですが、実際には結構空いていました。これなら車で来た方が良かったかも知れません。

 

●土居駅前付近で早速、上野地区の4台に出会います。内之川の重旗、本郷の法被、関の法被を初めて見ました。カッコ良いです。

 

 

●関の重旗?は折角の布団締めがあまり見えないような気がします。

 

 

●飯武太鼓台の天幕が赤白黄市松の図柄に変更されていました。太陽と星の天幕も素敵だったのですが、評価はどうでしょうか。

 

 

●4本の棒に4人の棒端係の特殊法被が強烈に主張する八日市太鼓台の構図です。かなり印象的でした。

 

 

●土居本郷の上水引は初見でした。蕪崎太鼓台は来年新調とのことです。今代の太鼓台は、戦後、旧土居町内で最初に全面新調したパイオニア太鼓台でした。

 

●今年の祭りはこれで終わりです。土居祭りさん、いつもありがとうございます。

 

14日の午後、土居祭りの帰り道にJR多喜浜駅前に立ちました。駅構内から永久堂方面を望みますとかなりの勾配の坂になっています。

 

 

 

 

●幟も立ち揃い準備万端の多喜浜駅前でした。何気なく立ち寄った多喜浜駅前です。30年も40年も前のここ多喜浜駅前の1014日の祭りの様子を思い起こしたり、3日後の夕刻の賑わいを想像したりしていました。この場所で別の賑わいが2日後の昼下がりに起こることなど西園寺穂純は知りませんでした。

 

初日、本当は仕事ではなく私用です。正午にある人と逢わなければなりません。新居浜を午前10時ぐらいに出ればこれに間に合うのは確実で、上手く行けば八旛神社統一氏参りぐらいは見えるかも知れませんが、まあ今年は潔く諦めましょう。情報の頼りはインターネット掲示板です。

 

●情報によると、午前中は無事進行したものの、午後になって多喜浜駅前広場に白浜が待機し、川東商店街江の口側に宇高が太鼓を据えて睥睨中とのこと。しかし、間に警察車両が割って入っており鉢合わせは回避される見込みでした。ところが、何たることかその警察車両が排除され、駅坂の途中で交戦したとのことです。

 

●駅坂と言えば、一昨日、土居祭りを見物に行った帰りに写真も撮ってあったあの場所です。まさかの言葉が頭を過ぎります。一昨日も感じましたが、どう考えても太鼓のケンカの場合、坂上が有利で坂下は不利です。先に坂上に陣取ったのは白浜の作戦でしょうか。駅付近でのケンカを知り尽くした、とは言っても昭和40年代半ばまでですが、その経験値が生かされているような気がします。流石です。ケンカの詳細はまだ知りません。そして、ここへ持って来る宇高も凄い。戦況は後日じっくりDVDででも見たいと思います。

 

●しかし、警察は何をしているのでしょうか。初日からケンカをさせてしまうと他地区や翌日以降も荒れてしまうのは必至です。ケンカするなら最終日午後と相場は決まっているのです。絶対に初日からさせてはいけなかったのです。警察黒星。

 

中日17日は、午前中に市制施行70周年記念統一太鼓寄せが河川敷左岸であって、昼のTVニュースでも出ていました。事故、ケンカのことは言っていませんでしたのでイベント然とした平和な状況で進行した模様です。かきくらべ最優秀は川東西部の澤津太鼓台だったようです。もうひとつ差しくらべ部門では久保田が優勝とのことでした。

 

●統一寄せ終了後の午後3時ごろ、川西は泉池町内で大江西町が激突したのは夕方のニュースで知りました。このケンカでは延長棒や鋼材などが特殊装備され何か殺伐としたものを感じました。このケンカは十分に予想され、警察にはその情報も入っていたと思われますところ、特装中にケンカを阻止する方策は採れなかったのでしょうか。警察黒星2つ目。

 

●夕刻6時、私は家に帰ってインターネット中継を食い入るように見つめていました。パソコンの画面の小さな画像は、松乃木が駅から下がる際に東浜に持っていくような絵を捉えました。阿島や下郷も除けてケンカ道を作ってあげていましたが双方引きました。

 

楽日18日は、何と幻の名人対決カード澤津本郷の対戦があったようです。場所はお馴染みの元エビスセンター前、時は午後3時過ぎの宮入り前、すべての好条件が揃っています。もちろん役者も超一流。やはりケンカはこうでないといけません。待ちに待った二輪での黄金伝説は、昭和42年以来何と40年ぶりの対戦ではないかと思います。時も場所もポジションも全く同じです。40年前はここでケンカした後、宮入りしても再度ケンカになり、町と山端も巻き込んで2対2のタッグマッチになったのを思い出しました。

 

●経過は分かりませんが、結果は知っております。対戦中に澤津の太鼓が割られたそうです。しかし、澤津の取組み前の立ち振舞いや対戦中の安全配慮それに勝負後の引き際などケンカの手本として見習うべき箇所が多く、敗れはしましたが大勢の太鼓ファンに感動を与え、一段と男をあげたというネット評です。この現場に立ち会うことが出来なかったことが残念でなりません。

 

●来年は澤津・宇高・本郷が運休になってしまいます。町は帰って来ると思いますが、5台のうち老舗は町と山端だけです。果たして祭りが成立するのでしょうか。本部落2台とも欠場の高津はどうすればいいのですか。

 

以下は西園寺穂純個人のえこ贔屓ビデオ観戦記感想であります。

 

初日は昼下がりの多喜浜駅前、やる気満々の宇高に対しその気があるのか無いのかハッキリしない白浜でしたが、長い睨み合いの後、坂下から宇高が半ば一方的に白浜に突っ込んでいます。宇高は上水引と高欄幕を外していましたが、第一撃では、白浜の上水引と高覧幕は着けたままでした。この第一撃で宇高の棒は白浜の高覧幕に接触しました。幕が痛んでいないか心配です。戦況は一進一退のようですが、坂下から攻め続けた宇高の体力消耗は尋常ではなかったかと思います。坂上とはいえ白浜も引く時には相当の瞬発力を要するとともに、後ろ棒のコントロールが難しかったのではないかと思います。

 

中日17日の市制施行70周年記念事業の河川敷は、イベント事ですのでそれほど趣のあるものではありませんでした。唯一の見せ場は、東浜太鼓台の天幕早変わりでしょうか。特設観覧席に向けて差し上げ中に、赤白青市松天幕から青白縞天幕に一瞬のうちに変わるという歌舞伎の早変わりの趣向にも似た小粋な演出、この青白縞天幕が秋の青空に映えて実に美しい。新田(多喜浜)太鼓台の赤白縞天幕との競演も見る人褒めざるなしでした。

 

●その新田(多喜浜)太鼓台も房が新調されていました。色が深くなり好きな人には応えられません。結びは初見の三方梅結びです。また、括りの巻き布と幕の貫が去年までの黄色から桃色に変えられました。こちらも良く似合っております。これで、多喜浜駅近辺は山端、松神子と共に桃色密集地帯になりました。特殊法被も梅をモチーフにした近郷には例を見ない綺麗なデザインとなっています。

 

上部の山根グランドでは、下泉太鼓台の特殊法被が新調されているのを確認しました。背文字の字体はひらがなで重旗と共揃いになっています。

 

●川西午後の大江西町の戦況はコメント対象外です。今後、平成19年の今野内科医院前は、昭和46年のマルニふとん店前と並んで、ケンカの名所として後世に語り継がれることでしょう。

 

川東の夕刻の多喜浜駅前、松乃木が駅から下がる際に東浜に持っていきました。帰落後、松の木自治会長から厳しい説教があり、更なる暴発を未然に防止したとの噂があります。自治会長のファインプレイ!

 

●多喜浜駅前では、澤津が下がるのと同時に、本郷が澤津を追いかけ回すようにして退場しています。何か、平成元年の記憶が頭を過ぎります。

 

18午後の川東、ここからはビデオの他に耳に入った信頼できる情報も加えて回想とします。

 

●川東西部の統一行動は何とも重苦しい雰囲気だったようです。昨夕のことから澤津は統一行動に参加しないのではないかなどという噂が飛びかう中、知らぬ顔して澤津も参加、集合場所の元エビスセンター前交差点で90度にまみえます。1回目の遭遇チャンスは澤津も本郷もかん口令でも出ているのか不気味なほど静かに過ぎました。

 

●噂の内容が「澤津は弁財天公園でヤル(かも知れない)」に代わり、広場でも2回目の遭遇チャンスがありましたが、お互いに素っ気無い様子で引き返しました。

 

●もう宮入り前には何もないと思ったところ、本郷太鼓台は本郷自治会館前の花束贈呈セレモニーに備えて自治会館前に止まっていました。山端、浮島、東雲が南側の唐樋方向に向かい、澤津の番になりました。3回目の遭遇チャンスです。澤津はここを通過すべきところ、市道から三角道に進行せんと本郷に棒を向けています。平成元年の記憶が頭を過ぎります。

 

●実に久しぶりの澤津の挑発行為、いやぁ本当に久しぶりです。指揮者の黄旗は行け行けの縦振り、臙脂の法被がモテコイポーズ。全く予想外の展開に本郷団は完全に泡を食っています。何と本郷の指揮者が波静か静まれポーズをしているではないか。普段なら、直ぐに乗ってくるのに、おとなし過ぎる。おかしい、変だ。こちらも説教されているのか。

 

●どれ位時間が経ったのかは知らないが、ビデオ画面は本郷が幕を外している。もちろん澤津も外す。ここに昭和42年以来、何と40年ぶりの澤津本郷の対戦が実現しました。観衆の中に拍手をしている人が居ます。

 

●第一撃、両太鼓台は力の限りぶつかり合いました。双方とも少しコントロールが悪かったのか棒端は鳴り物太鼓の鏡面上を空過します。これは危険です。二撃三撃と続くうちに棒端が低めに安定し、太鼓割り作戦に変化しています。

 

●序盤、ぶつかりの衝撃で棒上から転落する人が本郷側に複数居りました。無事だったのかどうか心配ですが、ケンカの際の転落事故は下手をすると死に直結します。ご自愛されたく願います。

 

●重量王者の本郷と軽量巧者の澤津、両太鼓台はその特性を生かした戦法を採り、双方とも上手なケンカを展開しています。本郷は実にどっしりとした取り口です。逆に澤津は俊敏な動きでこれに応えます。ビデオをじっくり見ていると、衝突と次の衝突までの間に、澤津側の行動開始が素早く、距離的に長いアプローチを取って本郷にぶつけていることが分かります。衝突位置がだんだん北側へ移っているのがその証拠です。中盤、澤津ペースで戦いが展開されたことが読み取れます。かと言って、本郷も全く危なげなく堂々の取組みです。まさに横綱対決。

 

●私は町ファンを自認していますが、オールド人部類に入ってしまいますので、澤津本郷戦ならば個人的には澤津に応援肩入れします。もちろん本郷も好きなのですが、昔の町ファンならばやはり澤津派ですね。

 

●垣生に土地勘がある人なら理解いただけると思いますが、元エビスセンター前と八旛東の間には大きなカーブがあります。ここが運行の難所で、ケンカ状態では相当の制御力がないといけません。ポジション的に先にカーブに差し掛かり、逆走で通過しなければならない澤津側には不利に働きます。

 

●カーブを通過し少し西進した所で、本郷の棒が澤津の太鼓を捉えました。澤津は木製鎧を装着していましたが、交戦中に外れた模様です。

 

●おめでとう本郷、ありがとう澤津。ヨ〜弾んだ。ヨ〜楽しめた。大満足だ。これで良いじゃないか。いったいこの澤津本郷のケンカのどこがいけないと言うか。ケンカは重大な事故につながるからとして禁止されている。分かっている、それで良い。しかし、これだけ綺麗なケンカを見せつけられたら平和運行信者でも心が揺れる。

 

2007

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(天気表出典goo松山の過去の天気)

 

 

 (010823令和上梓)
(010901
天気加筆)
(020813
体裁変更)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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