太鼓館特別研究
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新居浜太鼓台の進歩と調和 NHKふるさとの歌まつり
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【御注意】これは西園寺穂純が50余年のインターバルを経て、頭の片隅にへばり付いていた記憶だけを頼りにある番組放送日と放送内容を突き止めたものであります。
NHKふるさとの歌まつり放送日は昭和42年11月30日(木)だった
●先に枠内の記事をご覧ください。これは、西正寺穂純(当時)が太鼓館内で展開していた「太鼓台奥の細道」と題した雑文集の内の一篇で、平成12年1月10日に「太鼓台のテレビ出演」としてアップしたものの一部です。
●「ふるさとの歌まつり」という題名のNHKの看板番組がありました。全国を巡回して郷土芸能を紹介する趣向の番組で10年間ぐらい続いた人気番組でした。司会は宮田輝氏で、後に国会議員にもなりました。
●昭和40年ぐらいだと思いますが、確かな年は覚えていません。この番組が11月ごろ新居浜で録画されて全国放送されました。もちろん白黒です。既に市民文化センターは開館していましたが、会場は新居浜西高校の体育館で、運動場に川西の全太鼓台を待機させていました。ゲスト歌手は、後に不治の病から立ち直ったこまどり姉妹と完全にポシャッた島和彦(誰も知らない?披露曲「雨の夜あなたは帰る」)でした。
●宮田氏は事前に新居浜太鼓祭りの本祭りを見学しているとみえて、「後で太鼓台と言うのをやってもらいますけれど、スゴイですよ」と最初からハイテンションでした。後半、体育館に泉池子供太鼓台が入場し、宮田氏が括りを指差して「これは何と言うのですか」などと尋ねていました。
●番組の最後は運動場からの太鼓台の乱舞シーンでした。お決まりのサービスカットで、ゲスト歌手の島和彦が指揮者の格好をして舁き棒の上で手旗を振っていましたがすっかり腰が引けていました。宮田輝は太鼓台の動きに這う這うの体で逃げ惑いながら実況をし、最後の言葉は、「新居浜の皆さんはお逃げになるのがお上手だ。それでは皆さん、ワアァァ〜〜」で尻切れトンボのまま終了となりました。
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●放送年が何年だったのか、昭和42年だと思うのだが43年だと言う人も居るし、よう確定しないままでいたのです。そのうち図書館で過去の新聞テレビ欄を確認しようかと思っていたのですが、放ったらかしのままでした。
●令和3年11月16日、徒然なるままにNHKのホームページのうち同アーカイブス→同クロニクル→同番組表ヒストリーで「ふるさとの歌まつり」で検索しますと、その結果500余件が列記されておりました。該当部分を手繰っていくと、何と!
1967年11月30日(木)
午後08:00〜午後08:59
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アナログ総合
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ふるさとの歌まつり
〜愛媛県新居浜市新居浜西高校体育館で録画〜
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新居浜市別子銅山有志
伊予三島市有志
周桑郡丹原町有志
今治市有志
新居浜市有志
島 和彦
こまどり姉妹
東京放送管弦楽団
土橋 啓二
宮田 輝
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1967年12月04日(月)
午後04:10〜午後05:09
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アナログ総合
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ふるさとの歌まつり(再)
〜愛媛県新居浜市新居浜西高校体育館で録画〜
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同上
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なる記載を認めました。更に、番組詳細をクリックすると
大ノの歌
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新居浜市別子銅山有志
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八幡丸船唄
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伊予三島市有志
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お簾踊り
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丹原町有志
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獅子舞
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今治市有志
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太鼓台
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新居浜市有志
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想い出のブルームーン
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島
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南の島の花嫁さん
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こまどり
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伴奏
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東京放送管弦楽団
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指揮
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土橋 啓二
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司会 アナウンサー
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宮田 輝
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旨の記事もあります。そうか1967年だったのか、昭和42年で小生小学校6年生の時です。当時ビデオなどは一般家庭には存在せず、テレビ放送を食い入るように見つめた当時の記憶と概ね合致しますが、島和彦の歌唱曲が全然違っていました。
●番組エンディングだけでも何とかもう一度見たいものであります。
(031116新規上梓)
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