■これは書籍「平成12年度企画展 愛媛のまつり紀行−21世紀に伝えたい郷土の祭礼−」(平成12年7月11日発行、愛媛県歴史文化博物館編集、愛媛県歴史文化博物館友の会発行)の147〜162頁に記載されていた「新聞記事に見る愛媛の秋祭り(明治30年〜昭和20年)」の中から西園寺穂純が独自に抜粋したものです。本文中の年月日は新聞の日付です。 明治31年11月8日
西暦1898年 ●新居郡新居浜村の祭礼(2日)は、喧嘩祭りと称されるが、本年は警察署の厳重な取り締まりにより、厳粛に行われる。 大正元年10月8日 西暦1912年 ●新居郡金子村の一宮神社の秋祭りは18、19日に執行されるが、神輿の渡御は御大喪であるため見合わせる。 大正2年10月21日
西暦1913年 ●新居郡角野村の秋祭り(26日)で、山根組と北内組の太鼓台が衝突し、負傷者が出る。 大正2年10月29日
西暦1913年 ●新居郡大生院村大字喜来は太鼓台に毎年多額の費用を投じてきたが、近年青年団事業が発展したため、太鼓台を売却することとなる。 大正6年10月15日
西暦1917年 ●角野署は、11月2,3日の一宮神社の祭礼について、新居浜、金子の氏子総代などを召集して諭示する。 大正8年10月26日
西暦1919年 ●新居郡新居浜町、金子村を氏子とする一宮神社の大祭(27、28日)で、28日には船御幸が行われる。 大正9年11月6日 西暦1920年 ●新居郡地方の祭礼(26日)で、角野村山根地区と北内地区の太鼓台が衝突し、死者が出たため、両地区はその後協議し、謝罪の意味を以て将来は一切太鼓台の奉納を廃止することにする。 大正13年10月22日 西暦1924年 ●新居郡の一宮神社の祭礼で、19日に、太鼓台8台が金子村久保田河原の御旅所に集合し、行列を開始しようとした時、金子村江口の太鼓台と新居浜町東須賀の太鼓台に江口のかき夫が挟まれ、負傷する。 大正15年10月18日 西暦1926年 ●新居郡垣生高津神郷の各村は八旛神社の祭礼(14、15日)を執行したが、警察当局の取り締まりにより平穏無事に終了する。 大正15年10月21日 西暦1926年 ●新居郡金子村の一宮神社で、太鼓台の鉢合わせから大乱闘になり、検束者80名を出す。 大正15年10月21日 西暦1926年 ●新居浜の大乱闘で関係者150名を取り調べ中。また、この大乱闘で太鼓台2台が破壊され、その損害は約1万円。 昭和7年10月18日
西暦1932年 ●新居郡垣生村の八旛神社の秋祭り(14、15日)は、太鼓台5体が勢揃いし、境内で山の端と浜がせりあいを始めたが、角野警察署員が取り締まる。しかし、本郷と高津村沢津の太鼓台が喧嘩を始め、負傷者、検挙者が出る。
昭和7年10月21日
西暦1932年 ●新居郡金子村の一宮神社の祭礼(18、19日)は、新居浜東町と西町の太鼓台が鉢合わせとなり、東町の太鼓台が大破する。また、宮入りの際にも久保田と新居浜町中須賀の太鼓台が鉢合わせする。 昭和9年10月3日 西暦1934年 ●新居郡の名物秋祭りである金子村の一宮神社の秋祭りについて、青年団幹部などが協議し、本年は旱害風水害のため、厳粛に行うことを決定する。 昭和9年10月17日
西暦1934年 ●新居郡垣生村の八旛神社の秋祭り(15日)で神郷村又野の神輿に高津村宇高の神輿が突然おそいかかり、250〜60円の損害を与えるとともに、警察が制止しようとしたが輿丁が興奮して大混乱となる。
昭和14年10月12日 西暦1939年 ●東新地方の秋祭りは、事変下であるため、自粛自戒して行われる。そのため、名物の太鼓台も出さないこととなる。 昭和15年10月21日 西暦1940年 ●新居浜市の秋祭り(18日)は、皇紀2,600年を祝し、武運長久を祈る意味から、喧嘩などは一切厳禁される。 昭和17年10月17日 西暦1942年 ●新居浜市沢津町、宇高町、市外神郷、垣生、多喜浜、大島村の八旛神社の大祭(14、15日)は、勇ましい太鼓の音が秋空に響き、鉢合わせの元気なところをみせる。 昭和17年10月20日 西暦1942年 ●新居浜市の一宮神社の大祭(18、19日)は、久保田河原神楽場に神輿が着御すると御神楽を奏し、8台の太鼓台が勇ましく立ち舞う。今年は子供太鼓も繰り出し、また一つ祭りの呼び物を増す。 昭和18年10月10日 西暦1943年 ●新居浜地方の祭礼で名物太鼓台が繰り出すことに決定する。 (010925新規上梓) |