太鼓館

太鼓台タイムマシン上部

 

●「月刊タウン情報にいはま10月特大号」(昭和54年;AP企画発行、後すぐに廃刊)という小冊子に、当時太鼓台を運営していた自治会の地元太鼓台に関する400字ぐらいのコメントが載っておりました。これはそのレプリカです。コメントを尊重して、明らかに誤述と思われる記載もそのままにしてあります。

 

長野

 ハッピ…ブルーに黒襟
 ハチ巻…地に

●長野太鼓台は昭和5153年にかけて大野原の菅原で制作したもので房は京都岡本のものです。見所は高欄に鯉のはねているものがめずらしいのではないでしょうか。
●日本古来の郷土芸能であり五穀豊穣を祝い地方あげての祭礼であったこの太鼓祭りも一時期は勇壮なけんか祭として有名であったが時代とともに最近では優雅になり数千万円を投じて次々に新調され絢爛豪華になりその運営も自治会が担当し最大の年中行事として自治会員がお互いの連帯意識の高揚と団結と協力をモットーに地区の名誉をかけてかきくらべを観客に披露いたしまして、平和で健全な祭典であるようかき夫観客が一体となって満喫できる太鼓祭りが今後も継続できるように努力を続けている。

池田

 ハッピ…、すそ千鳥格子
 ハチ巻…

●池田太鼓台の発祥は明治20年ごろ、坂の下部落より上池田部落が購入して始まりました。当時上池田部落は27戸の小部落で太鼓台運行の時は隣部落の元気者にわらじとお酒を持って行き、協力を依頼して運行していました。そして、大正初期に下池田部落と合併し現在の池田太鼓台に生まれ変わりました。
●終戦後、祭りが世相を反映するが如く喧嘩祭りとなり、当太鼓台も喧嘩太鼓へと変貌していきました。しかし毎年の死傷者に心を痛め、勇壮絢爛な姿をと、40年大江より中幕、高欄幕を購入。
●また万博以来新居浜祭りが、見せる祭りへと変貌し新調ムードが流れ、当太鼓台も3,000万円の費用をかけ新調することに決定。唐木骨組は地元、太鼓は大阪、房は京都、飾幕は観音寺高木縫師の手で製作、55年完成の予定です。
●池田太鼓台は地区住民の想像以上の郷土愛の力により出来上がったもので、素晴らしい太鼓台であると自負しております。

元船木

 ハッピ…グリーンにすそが山水
 ハチ巻…グリーン

●国立民族博物館(大阪府吹田市千里)に、新居浜市を代表して、我が元船木自治会(会長矢野正行)太鼓台が永久保存展示されることに決まりました。同博物館の日本展示場祭りコーナーに展示されており、3月29日より、全国の方々に見ていただいております。
●展示室のルームライトに照らされた金糸・銀糸のししゅうは格別の美しさを見せて、訪れた人達を魅了しています。
●何時何時までも、郷土の財産を守ろうという部落民一同の願いが実って幸いに思っております。
●売却が終わると、早速3ヶ年計画で、新調が始められ(同市東町吉田氏方)着々と上幕、高欄幕等が出来上がり運びこまれています。
●部落民各位の一丸となっての協力により、素晴らしい太鼓台が出来あがっております。
●来る秋祭りも、残り1ヶ月弱に迫り、生まれ変わりました元船木太鼓台の雄姿が、さんぜんと輝く日を、部落民一同まち遠しく思っております。

高祖

 ハッピ…グリーン地にヌキ
 ハチ巻…グリーン

●高祖太鼓台の自慢はなんと云っても上幕で、昭和25,6年人間国宝故山下八郎縫師が精根を尽くした遺作であり昨今これほど手細やかで立体感を有し、バランス・重量感ある作品はなく、まさに国宝級だと自他共に認められております。
●絵柄は四方御殿で我が高祖部落に実在する三島神社を正面に故山下八郎氏が自ら金毘羅宮に出向きスケッチし縫い上げた神社殿は宮大工が驚嘆するほどの出来で、どの御殿の屋根も丸臥作りが他にない特徴で、三島神社に現存する唐獅子を誠に生きているが如く縫い、今にして人間国宝の偉大さを知らされた程です。万国博以来新調ムードが高まり、高祖も昨年ふとん〆、そして今年は高欄幕を吉田縫師にて新調。また房も昨年、京都にて製作、新調しました。
●部落民総意が太鼓台のため高額の負担にたえ、労力を費やす姿は、誠の郷土愛をもって、郷土の発展と、郷土のシンボル太鼓台を大切に育て、継承させようという意気の表れだと思います。

新田

 ハッピ…ブルーすそ鉤くずし
 ハチ巻…地にの新田

●当太鼓台は古老の話に依ると、年代不明なるも今より約100年程前本田基七名儀の部落所有林、中野神社の木を伐り売却、当時の金で得米10石の費用をかけ宇摩郡豊田村より買入された。当時の太鼓台は小さく棒の長さは5間でかき夫も40人と制限されて現在の伊予三島方面の太鼓台に似たもので、八つ房も大変小さく其の代わりに重の角には角房がついて四角には楠玉と云って「昼アンドン」のような刺繍を金糸でしたものがあった。
●三島の縫師「人間国宝」山下八郎氏に注文し、ふとん〆・幕全部を造り直したのが現在の太鼓台である。今まで補修補修で原型をとどめ現在も山下氏の子息に依り補修を行っている。現在新居浜では、故山下氏が造った物で上から下までそろっている飾りは当太鼓台だけだと思う。

北内

 ハッピ…地にの襟
 ハチ巻…

●北内の太鼓台は、50年前香川県高松市上田で製作したものでしたが、昭和49年淡路の梶内に交渉し新調しました。梶内の頭によると私も70年仕事をやっているが純金糸で幕を造ったことがないので純金糸でやりなさい、それなら私も無理してやりましょうと言う、純金糸なら50年は保証するというので製作を依頼した昭和51年上幕製作中NHKが北内鼓幕を録画に訪れ日本一の幕といわれ5月10日に全国放映されました。3年契約でありましたが、52年に完成し今の太鼓台が出来たのであります。
●太鼓を見るなら上部へおいでと言いたい上部太鼓寄せの場所は別子ライン入口山根市民グランドです。上部の太鼓台は落としたり横に投げたりすることはありません。見物客がハラハラする場面もなく観客席から安心して見物が出来ます。9台の太鼓台が一勢に青空の下で乱舞する姿は日本一であります。

中筋

 ハッピ…ピンクの青海波
 ハチ巻…ピンクで中筋

●新居浜名物の太鼓台は全市で約30台あるが、太鼓台製作に従事する少数の人が、一目見てその豪華さに驚嘆するのが中筋太鼓台である。特にフトン締めの厚さ、飾り龍の規模の大きさ、入念な細工は今の時代の技術・材料では製作できないといわれている。古い資料によると大正14年、3,226円という当時としては驚異的な大金を投じて今の太鼓を新調したとのことです。このような先輩の努力による部落の財産を、代々守り続けたのだが、長い年月により色もあせて糸もほぐれて、更新の日が近づいているのは一抹の淋しさを感じる。中筋としては再現不可能と言われる国宝級のこの飾りを何としても保存したいと思っている。終戦後は若人のエネルギー発散の場として喧嘩祭りとして名をはせ、多くの死傷者を出しましたが、最近はかつぐ太鼓=平和な祭典として普及しました。私たちは長い歴史と伝統を誇る太鼓台を維持・管理し、いつまでも残してゆきたいと努力しております。

萩生西

 ハッピ…ブルー黒しま
 ハチ巻…地にのはし

●萩生西太鼓台は、古老の話によると、約70年前部落の青年団が薪を売り買い入れたものが始めであった。
●現在の太鼓台は昭和45年梶内にて〆・高欄幕、高木にて上幕を新しくしたものです。天幕は白と赤の千鳥ごうしに房は白色のものをつかっております。
●萩生西のかき夫の人々は農家の人がおもでしたが現在は人もふえ担きっぷりは勇壮で担きくらべではどこにも負けないと自負しております。万国博覧会会場跡でおこなわれた日本の祭りにも出場いたしました。
●神社は萩岡神社なのですが宮入のさい石段を上がらなければならないため、同じ氏子の岸の下太鼓台と協力して、五穀豊穣を祈りながら宮入しております。

岸ノ下

 ハッピ…ブルー
 ハチ巻…地にで岸ノ下

●当太鼓台現在のものは、昭和32年高木によって制作されたものであります。天幕は白と赤の千鳥ごうしに房はうすい水色のものをつけています。上幕、下幕ともに寺社と唐獅子を中心にほどよくまとまり、いくぶん小さめですがうまくまとまっております。
●以前は、萩岡神社へ宮入りする萩生西の太鼓台と毎年神社の前で喧嘩をしておりましたが今では平和運行を旨といたしまして、昔ながらの勇壮さをたもったまま、萩生西ともども、協力しあいながら平和のうちに宮入を行っておりますが、担夫の数が、すくなくなってきておりますので苦労しております。
 

番外岸影

●岸影太鼓台は氏神が、飯積神社なので1016,17日の西条祭にでている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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