太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム

西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(38)

 

 

令和元年 16()17()18() 松山B2

 

今年は新調ラッシュらしく、新田(多喜浜)、喜来、上本郷及び大江の4太鼓台が飾り幕類を新調するそうです。そんな中、西園寺穂純の最大の関心事は松乃木太鼓台の法被の新調でありました。新営から十余年、そろそろ中須賀との友好関係は維持しつつも臙脂色法被から脱却し、第二ステージに昇級した松乃木の心意気を世間に顕示すべくグレードアップ新色を模索したのではないかと大いに期待していました。

 

13日午後新居浜駅前で大江太鼓台に遭遇しました。午前中に新調披露しているはずだからこれは既に先代大江と言うべきでしょうか。まだまだ新しい、光っている、良いスタイルだ。何でこの太鼓台を維持しなかったのか大いに疑問が残ります。

 

16日午前7時過ぎ、沢津交差点付近で松乃木太鼓台を見つけます。何だ、法被の色は臙脂のままか、色変更があるものと思い込んでいただけに相当ショックでした。更にそのショックに追い打ちをかけたのが一般法被のマイナーチェンジであります。何と背文字がカッコいい「松乃木」から月並な「祭」に変更されてしまっているではありませんか。これは第二ステージどころか第ゼロステージへ逆戻りであります。波のデザインも世間一般によくある意匠で、波の間に間に片仮名のマツノキが隠れ文字になっているとか、雨が降れば松乃木マークが顔を出すなどの趣向も何も無いものと思います。何故だ?今時背文字が「祭」の法被なんて垣生ぐらいしか着用していない時代遅れの代物なのだ。そんな垣生と一緒でいいのか?そんなことないだろう。ああ、この法被をあと10年ぐらいは見続けなければならないのはかなりの苦痛であります。ガックリ

 

●せめてもの救いは襟文字の変更です。八旛神社氏子中から八旛神社御祭禮に変わっていました。これは小HPのうち「西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(24)=平成17年」の8項目に「襟には八旛神社氏子中と書かれています。氏子中は少し異議ありの感もあります。八旛神社氏子とか八旛神社祭礼の方が良かったかなと思います。」と記載していたところ、その趣旨を汲んでいただいたのだろうか。

 

●気を取り直して松乃木太鼓台を眺めれば、重旗に日の丸と朝日を着けている。これも好みではない。八旛氏子太鼓台では太鼓台が神様と遭遇するチャンスは3回ある。16日午前氏参り、18日午前神幸祭の供奉そして18日午後の宮入り時の3回である。この時は正装で神様と対座していただきたいと思います。その他の統一行動イベントなどは日の丸だろうが朝日だろうが星条旗だろうがサンケイだろうがそれはそれでお楽しみである。

 

●統一氏参りは今年も2部構成で高津先でした。宇高が重旗を変えてきた。片方は宇高の丸文字で伝統のデザイン、もう片方は初めて見る書体でした。白抜き旗になっていてスッキリしています。澤津、宇高は人が多いが、東雲、松乃木は人が少ない。垣生側では町の人数が極端に少ない。人が集まらなかったのか。何事も無く統一されていない統一氏参りは終了した。

 

17日も午前7時過ぎ、下原交差点には東から高津の4台、西から垣生の4台が集合します。宇高路を南進すると宇高自治会館前での花束贈呈で、ここでの町太鼓台の振舞を見分すると本年の祭りの行方を占うことになる。去年と同様塩対応なのかハラハラしましたが、以外にもごく普通の振舞でした。町の人が「去年はゴメンね」などと云っている。先ずは一安心だ。

 

●大名行列一行はマクドナルドを超え東雲入りをするが、私はしんどいので市役所通りを短絡し東雲交差点で待つ。一行は北行きしローソンを超えバス通りファミマ交差点まで進み高津保育園入り口から松の木入りだが、私はしんどいので沢津たまも交差点で待つ。一行は沢津自治会館前での花束贈呈を済ませ南に進路を取り沢津路から西沢津バス停を目指すが、私はしんどいのでバス通りから西沢津を目指した。

 

●たまも交差点の東側パチンコ店付近には既に川東運営協の9台行列が整っているようだ。西部委行列と運営協行列の2列がそれぞれ徐々に進行し西沢津バス停の三角路でかち合う。良く練られた進行だ。先に運営協側9台が労災病院側へ進行する。花束贈呈場所が喫茶ピエロの巣前から旧エッソGS前に変更されていた。

 

●運営協に続いて西部委側8台が続くが、ここからが最大の見せ場だ。先に通過した運営協側が労災前で道路南側に並び待ち受け、その北側の道を西部委側8台がその脇を進行する。仲の良い同士はお互いに盛り上がり、仲が悪い同士もそれなりに揺すり上げる。声を限りに張り上げたところで、西部委側は新高橋に並び、運営協側は堤路を会場へ進む。なかなかのシナリオでした。

 

●横一列17台も壮観を極めていた。さあ、舁き競べだが、今年もまた全体の規律を乱す時代遅れの太鼓台が1台出てしまった。川東西部地区運営委員会はこの時点で該太鼓台に「注意」をしなければならなかった。舁き競べ自体は隣の太鼓台との間隔が狭くその場で上手に差せない太鼓台が複数台あったのは少し残念でありました。

 

17日午後は2時過ぎから垣生廻りです。八旛神社二の鳥居から西進の後東に返して一の鳥居、元えびすセンター前から法泉寺、山端路を経由して山端入りとなり、山端広場で山端と他の太鼓台間で端缶大会が繰り広げられました。友好的で微笑ましい光景でした。私はしんどくなったので多喜浜駅前はパスした。

 

18日午前は川西東町のマルニふとん店付近です。巷雀の噂によると昨日午前中に新須賀西原がケンカした模様で、今日は11台運行とのことです。今年はケンカしないことで新居浜太鼓祭り関係者一同が最大限の努力に努力を重ねて来たのではないかと察しますが、残念至極であります。ここでは大江の新調幕を見たいものだと思っていましたが海岸通り運行中のところを見分しました。う〜む、私は先代の方が好きです。今代のものは作風がどうも好きになれません。大江公園にて大江中須賀が対面中に雨が大粒になってきたので退散しました。

 

●午後は八旛前です。ここで新田太鼓台の新調幕を見ましたが。う〜む、こちらも私は先代の方が好きです。今代のものは作風がどうも好きになれません。それから田の上太鼓台が重旗を昭和クラシカルな「桜に田之上フリンジ付き」に戻していました。色目が綺麗で復刻新調でしょう。これはイイね、実に良い。さて、今年の八旛は17台です。八旛17台宮入りは記憶に無く、これが実現するのは各運営委・運営協の御努力の賜物と存じます。舁き競べは松神子が断然上手く、宇高、澤津も上手かったと思います。雨脚は段々強まっていき垣生の段では大雨となってしまいましたが、各太鼓台とも最後の最後まで奮戦し、全台完了しました。誠におめでとうございました。

 

●雨脚衰えることなく、寒くなってきたので八旛神社を後にしました。ああ、ええ祭りだった。(はずだった)

 

以下はビデオ観戦記であります。今年は22日に新天皇即位礼正殿の儀が執り行われ、それに伴う祝賀運行が新居浜市民文化センター前で行われました。参加したのは、川西=新田(金子)・江口・久保田・金栄・庄内・口屋の6台、川東=澤津・東雲・山端・白浜・東浜の5台計11台でした。新田(金子)・澤津・山端などは本祭りさながらの得意技を披露し拍手喝采を浴びていました。ああ、ええ祭りだった。

 

2019

16()

17()

18()

9

🌥

🌥

12

🌥

🌥

15

🌥

(天気表出典goo松山の過去の天気)

 

 (011022新規上梓)
(011027
楽日上梓)
(011227
祝賀運行)

太鼓館巻頭へ

1161

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system