太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム

西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(35)

 

 

平成2816()17()18() 松山Z

 

●今年は忌中につき祭りは出来ません。今年は3日間全部自由の身で祭りを楽しむことが出来たのだが世の中そうは上手くいかないようだ。祭りが近くなっても二律背反、心の中が揺れている。母親の死は本当に人の心を悲しませているのであります。

 

●今年も松山では大神輿総練が堀之内で開催される。本祭りとは1月もズレがあるが、祭季到来を告げる風物詩となっている。ところがこれは見に行けなかった。忌中の行事ごとなど何かと準備も多く、いくつ体があっても足りない。心配したのは今年の総練では前夜祭も開催されるとのことで、さて夜間の太鼓台管理をどうするのか、酔っ払いが無茶する危険性があるのではないか等と心配する。その心配が的中してしまったようだ。ここでのトラブルを折に口屋太鼓台は今年の本祭り不参加が決定した。そればかりか、口屋太鼓台自体が解散したとの噂なのだ、そんな殺生な。

 

●さて、新居浜太鼓祭りインターネット雀によると、今年は本郷宇高、西町東町の2輪戦が必至の様相で、川西では江口と久保田(相手は別々)の噂も先行していた。

 

●また、今年は上部地区で池田太鼓台と中筋太鼓台が新調合い整ったとのことで、お披露目には遠目からではありましたが拝しました。関係者の方々おめでとうございます。

 

本祭り16日、川東は八旛神社統一氏参りからスタートする。西から高津側の太鼓台が先に宮に入る。4台のうち宇高に人大杉の感がある。棒から溢れている。最終日ではないのだ、初日なのにこの人数の集りようだ。喧嘩の噂は本当なのか、初日からも辞さないなどの噂も消えない中、氏参りではあまり見たことのない人達も多く結集しているようだ。例年ならば高津に続いて直ぐに垣生の太鼓も入るのだが、今年は遅い。宇高の様子を情報収集しているのか、とにかく遅い。

 

●やっと来た垣生族は本殿周りの後、町が早速宇高にご挨拶(体の良い挑発)するが、今年の宇高は動かない。本郷は挑発行動しなかった。神事が進み何事も無かったように8台の太鼓台は小学校行事に臨んだ。

 

●今日は八旛神社統一氏参りだけ見られればそれで良い。ここが無事でほっとする。

 

中日は河川敷だが、太鼓列は下原バス停交差点に集合し、宇高自治会館、東雲地区、そこから北進し沢津ファミマ東から松の木自治会館、たまもタクシー交差点から沢津自治会館を経由して、西沢津バス停裏三叉路からバス通りに出て労災前、新高橋、河川敷という経路を経る。随分の強行軍で、観客でもこの全てを随行する好士はそれほど多くは無い。

 

●今年の観点は宇高自治会館前での各太鼓台の振る舞いである。敵対する太鼓台が大揺すりや花束贈呈拒否などをすれば即開戦決定であり、後は場所の推理が必要になる。しかし、その心配は無用だった。各太鼓台ともごく普通に対応した。

 

●ここから東雲入りは少し時間がかかる。そこで、西園寺穂純は川西にどうしてもこの目で見ておきたい太鼓台があったので、急遽高専前に走った。見たかったのは久保田太鼓台である。法被がピンク色に変更されており、天幕を40数年前に着けていた旭天幕に変えていた。雨雰囲気で天幕の上にビニールが被さっているので少し見にくかったが、西原の旭天幕より、光幅が大きいように思えた。

 

●急いで引き返し、何とかたまもタクシー交差点に間に合う。この場所も、宇高がやる気ならば沢津自治会館方向に行かずにパチンコ店側に引けば開戦となることもあり得る重要な作戦地点だが、宇高にその気はなく、既に神郷の太鼓台が詰めていることもあって予定通り南進した。

 

●河川敷公園は3委統一行動である。入場口を2箇所設定し2台ずつ入場する。多喜浜や神郷の太鼓台は入場を終え垣生も入り、残るは高津のみ。多くの太鼓台は入場そのままの向きで据えているところ、町と本郷の2台はこっそり向きを逆向けにし正面を西に向けている。いつでもスタート可能だ。宇高が入場して進行中にそれ目がけて本郷勢い良く飛び出した。

 

●本郷はあまり俊敏な動きをする印象の太鼓台ではないが、何だか今年は速い。どんどん押して行く。宇高も指揮者が法被を脱ぎ捨て呼応する。呼応はしたが、全然勝負にならない。宇高は押されに押され、押されまくってグランド西北隅に追いやられ、所定位置への着座も放棄した模様。傷心の姿、察するに余り有りです。本郷は所定位置まで帰る。最終入場の澤津は大放り上げを何回も決めて拍手喝采しきり、宇高と澤津、同じ高津の太鼓ながら対照的な姿となった。

 

●統一行動終了後、各太鼓台は宇高の横をかすめながら帰途につく。ここでも町太鼓台は進行旗を乱振りしている。そこまでしなくても良かったのではないか。さて、ここではなりを潜めていた宇高太鼓台も2輪を得たならば、帰途、バス通りで本郷を追いかけまわす可能性もある。しかし、それも無かった。どうする宇高、このままでは引き下がれまい。午後の運行は八旛神社集合だ、ここで開戦か。目離し出来ない状況になってしまった。

 

●忘れていたが、白浜の重旗の片方(私たちが太鼓台に向かって左側)が六文銭紋に変更されていた。大河ドラマを意識しての今年限りのパフォーマンスならば秀逸とみるべきであろうが、白浜の丸文字デザインがより秀逸なため来年以降はどうであろうか。

 

●午前中の進行が大きく遅れ、午後の進行に影響が懸念される。予定時刻に八旛前に行ってみると、緊張感の欠片もなくぼんやりと進行している。それもそのはず、宇高は午後の運行を断念したというのだ。以降本年運休ではなく、とりあえず中日午後のみ運休だそうだ。本日の喧嘩はなくなったので当面緊張感は無い。しかし、最終日運行するとなると宮入り前の喧嘩か、それとも本日夜半に喧嘩回避の約定交換か。

 

●時間が押したためか、宇高を除いた7台、今年は一の鳥居からではなくバス通りをエビスセンターから法泉寺に進み南進して山端広場へ向かう。山端自治会館は建て直されており最近風の瀟洒な会館となった。会館の看板の文字が如何にも山端という字体で嬉しかった。

 

●ここから土手を江の口交差点に歩を進める。ここを追随逍遥するのは久しぶりだ。江の口から南には既に川東の太鼓台が詰めている。川東支所では松神子と思しき軽四がはしゃいでいる。道路に出ないで下さいね。

 

●多喜浜駅前では川東から入場し、西部、駅前委グループの順で入場する。川東はどこも苦戦している。太鼓台によっては明らかに人数が少なく他所の応援を得ないと無理であろう。そうすると法被が揃わなくなり舁き競べ採点では大減点となり入賞は断念せざるを得ない。田の上が上手かった。西部は山端、澤津が安定の舁き競べ、どこでやってもこの2台のワンツーは不動のものだ。又野も上手かったが最後の最後に落としてしまい減点、入賞を逃した。

 

●駅前統一行動のアナウンスは、聴き易い声で、太鼓台の動きを良く見ており、所作の実況とシナリオ読みの使い分けが上手く安心感が持てた。でも、コメントのうち、浮島の所で「獅子王の剣」はシシオウノケンでなくツルギ、町の段で「心の故郷」はココロノコキョウではなくフルサトと読んで欲しかったです。来年も楽しみにしています。

 

●優勝は澤津太鼓台、優勝コメントでは「賞金は熊本地震被災者へ贈る」旨の発言あり、澤津太鼓台はいつの間にか品行方正太鼓台に変身していた。

 

私はこのHPを始めた頃から、八旛神社最終日の神幸祭の一部始終を見分しておきたいとかねがね願っていたところ、今年はそれが叶いそうだ。全行程をそれこそ西園寺穂純が供奉し、巡行コースの確認や御旅所の特定それに各太鼓台の神社との関わり方を知っておきHPに反映したかったのです。

 

●早速、神幸スタート時刻の午前7時30分少し前に神社南側一の鳥居前でスタンバイします。浮島太鼓台が供奉している。祝詞奏上やお神楽などお馴染みの神事が各御旅所繰り広げられる。1箇所で40分位必要か。そうこうしていると、午前8時20分ごろ突如、広報スピーカーから「本郷連合自治会からお知らせします。本郷太鼓台は只今から運行を開始します。皆様の御協力をお願いします」といった趣旨のアナウンスあり。何だ、まだ出てなかったのかとの思いと一抹の違和感と不安感が過る。

 

 

●宮神輿はトラックに載せられ神職らはタクシー5〜6台に分乗しての巡行である。一の鳥居での御旅所所作を終え、神列は参道からバス通りを左折西進した。そうか、今年は先高津後垣生の順なのかと悟る。神列は宇高自治会館前へ向かうのだろう。西園寺穂純も列の後をつける。

 

●バス通りを進行中、遥か前方を眺むれば、我とわが目を疑った。何とそこには宇高自治会館前で神列を待っている筈の宇高太鼓台が丸裸でバス通りをゆっくり東進しているではないか。まさか、供奉を放棄して本郷とやるのか。そうならばさっきのアナウンスとも符合する。さて困った。神幸祭も見たいが、喧嘩も見たい。どうする西園寺穂純…

 

●どうもこうもこのザマよ。西園寺穂純はいとも簡単に供奉を放棄し八旛前で喧嘩見物をすることになってしまいました。しかし、未だ8時30分なのだ。7時30分には30人ほどしか居なかった観衆が、何処から湧いて出てきたのかもう満杯の人の群れである。ネット連携スマホの脅威に恐れ入る。

 

●宇高は丸裸だ。指揮者の法被も脱ぎ捨てている。せめて重旗か名札を残しておいてくれないと後日写真を見てもどこの太鼓なのか全く分からなくなる。宇高には綺麗な水引幕があったと思うのだがそれも着けないのか。水引幕は普段姿を見せることはないが、唯一喧嘩の時にだけ御披露できる奥深い飾りなのである。四本柱を水引幕で巻いているからこそ太鼓台たり得るのだとも言える。喧嘩の時こそ水引幕だけは着けて登場するのが喧嘩する側の心意気というものだろう。

 

●垣生カーブを曲がった本郷が遥かに見える。本郷は上水引、高欄幕と房を外しているが、天幕、括り、重旗及び布団締めは着けたままの伝統的本郷スタイルだ。私は両者の真ん中で道路南側から見物した。何回左右に首を 180度回転させたことだろうか。ついにその時が来た。

 

●私は町ファンであるから、宇高に勝って貰っては困る。かといって本郷にも勝たせたくない。最近の本郷の川東再統一に関する振る舞いとは考えを異にする。どっちとも勝つと図に乗るタイプなので厄介だ。両方とも負けないかと思うが、そんなに都合よくは行く訳がない。

 

●近づいてきた。宇高の重の上で旗が乱振りされる。両者一定距離を置いたら、少し間をとって呼吸を整えなければならない。何回も何回も呼吸を整えて気が合えば第一撃となるのだ。本郷は慌てない、じっくり構える。宇高、まだ早い、ちょっと早い。もう一呼吸おけ、おいそのまま行くのか、行ってしまった。何回かは互角の衝き合いが成立したが、どちらも決め手に欠ける。

 

●本郷の様子が変だ。何と正面布団締めがずり落ちかけている。正面指揮者必死で持ち上げるが、この作業はロスだ、宇高にチャンスあり。チャンスを物にする暇もなく接近戦の様相を呈してきた。本郷得意のクリンチ作戦だ。一気に押す、押して押して押しまくる、一方的に押す。強い本郷。宇高は引く一方、八旛西丸幸付近から浮島小学校、生協、下原と場所がどんどん西に移動する。下原付近で宇高の前左棒が折れ、本郷団から拍手と三拍子の拳が上がる。もう少し西へ移動したのち取り組みは解けた。

 

●これで終わりか宇高、第二戦は無いのか。前がやられたら後ろ向きで応戦することも出来るし、予備の棒は持ってないのか、どこか貸してくれるところは無いのか。昭和45年のことを思い出す。様々な思いが頭を駆け巡るが無為なり。下原から帰るのも逡巡し、沢津との境サークルK交差点から高津小学校を経由して帰った。高津小近傍の沖津神社でお行儀よく神幸供奉をしている澤津太鼓台と遭遇した際には複雑過ぎる心境だった。

 

 

●この後、どうする。そうだ舟御幸に行こう。朝から濃い場面を見たので今日一日終了したような気分だが、未だ午前10時なのである。まだまだ祭りはあるぞ。さて、川西の舟御幸は大久しぶりである。もとより川西を見るチャンスは殆どないが舟御幸となると実に昭和45年以来である、何と46年ぶりだ。

 

●駆けつけると、大江浜統一行動は終了しており西方が乗船の最中であった。西原は乗船済みで西町が乗船奮戦中だ。潮の満ち引きの関係か陸海の段差が大きく1メートルぐらいあろうか。難所なのだろうが川西の各太鼓台はそれぞれ伝統の乗船所作によりいとも簡単そうに済ませる。続いて江口、金栄、庄内が乗った。

 

●遅れて東方の登場だ。久保田の姿が見えない。川西雀の話を盗み聞きすると、昨日工場前で西原と喧嘩になり舁き棒が折れたという。西原は出場しているから2輪ではないのだろう、久保田は自粛ということなのか。東方は4台だ。

 

●乗船場から海岸通りを通って中須賀側へ移動する。この道は今では車が行き来するが、46年前には間に住宅があり、人の家の軒先を縫うように西側へ行かなければならなかった。

 

●下船場では既に西方の台船が到着して下船準備中だった。何とここでは陸海段差が2メートル位ある。これで本当に卸せるのか。陸にはフォークリフトがスタンバイしている。フォークに横棒状の棒を固定し、太鼓台の本棒2本を固定して移動させる戦法だ。第一ペンギンとなる庄内太鼓台の一挙手一頭足に舁き夫と観客が固唾をのんで見守る。時として悲鳴に近い声も漏れたりもしたが、数分後見事な着地が決まり周りは大拍手。これこそ祭りの本質そのものではないか。

 

●驚いたのは、東方だ。何とフォークリフトを使わずに人力で卸すという。前棒は地面で差したまま保持し、徐々に移動させている。何という凄い技だ。何十年も舟御幸を行っているからこそ、こういった凄い技も伝承されているのだろう。今日は良いものを見せてもらった。何だかんだといっても流石川西だと改めて尊敬の念を強くした。

 

●全部降りた。本年不参加の中須賀からの花束贈呈があった後、いつもなら一組二組睨み合いがあったりするが、時間が押している関係か何の動きもなかった。しかし、西原、西町、江口及び東町の各太鼓台は舁き棒に等間隔ロープを巻いた喧嘩棒仕様としている。絶対何かある。このままずっと川西を見ていたい衝動に駆られたが、腹も減ってきた。八旛さんに出直しだ。

 

●八旛前で西部の6台を見送る。太鼓列は町、法泉寺、エビスから本郷自治会館前折り返し本郷花束の後神社南へ列する段取りだ。宇高と本郷は居ないので道中が荒れるとも思えない。ついていく気は失せ、境内でビールを飲む。すると川東が来た。続いて下又松だ。

 

●多喜浜はどこも苦戦、まともに前進さえ出来ない太鼓台もある。どうも舁き手が少ない太鼓台同志が舁き夫協力を約束しているようだ。下郷が大健闘だった。続いて西部だがどこも上手い。やはり澤津と山端、中でも澤津の連続放り上げはファンならずとも皆がカメラを構える。出来は万全ではなかったかも知れないが本殿前で演技出来て見栄えがした。山端は差したまま一回転、ひょっとしたら2回転にも及ばんとする今まで見せたこともない大技が決まる。見事だ、いかにも玄人好みのいぶし銀。舁き競べコンテストは優勝澤津で八旛5連覇、多喜浜駅前八旛ダブル優勝のおまけ付きだった。

 

●澤津も山端も奇しくも同時に43年間馴れ親しんだ今の幕はこの八旛を最後に引退し、来年は新調幕だ。どちらも高評価が期待されている。今から楽しみだ。

 

●退場となった。今年はすんなり終わるのだろうか、皆がそう思い始めた。白浜が浮島向けて突っ込んだ。軽い突っ込みかと思ったし、浮島もそれほど真剣に受け止める義務もないと思うのだが、白浜の攻撃も浮島の受けも執拗なものになった。真田幸村は泣いたのか笑ったのか。

 

2016

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(天気表出典goo松山の過去の天気)

 

 

 (010823令和上梓)
(010902
天気加筆)
(020813
体裁変更)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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