太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム

西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(31)

 

 

平成2416()17()18() 松山C指3年目

 

●今年は中日と楽日の見学となりました。初日は見に行けませんでしたが、いろいろ情報が入ってきました。特筆は、町指揮者のズボンのデザインでしょう。法被の背模様をそのまま利用した凄いデザイン、誰も考えつかない天才級のアイデアです。どうだ文句があるか。町の名札の字体も明朝体に戻されていました。

 

●本郷は何を思ったのか、指揮者と重係が伝説の緑ジャージの上下で胸に本郷の赤文字、そして上水引の名札が半紙に墨文字という40年ほど過去へタイムスリップモードでの登場です。本郷がこんなオチャラケ姿で登場することは一寸信じられない気がしますが、これは一種の余裕でしょう。本郷も一段階ステップアップしたのだと思います。さて、昭和時代の本郷のトレードマークにはもう1つ「指揮者の白い野球帽」があったのですが、次回好機にはこれも復刻していただきたいと思います。

 

●松乃木の名札が評判の芳しくなかった赤名札から黒名札に変更されて綺麗になっていました。その字体も変わっていました。

 

注目の中日は、今にも雨が落ちそうな天気で近年の祭りにはない肌寒さです。今年、祭り前から山端と東雲に喧嘩の噂があり、ネット情報によると、開戦は新高橋より早い時間で、東雲から動くことはないとの噂です。これは見逃すわけには行きません。

 

●中日の川東西部地区の運行経路には小変更が加えられていました。従来、東雲方面から下ってきた太鼓列はファミマ沢津店交差点で右折東進し、たまもタクシー交差点から松の木入りしていたところ、今年は高津保育園入口でから松の木入りし、松の木自治会館前を通った後、たまもタクシー交差点を南進して沢津自治会館前を通過するように工夫されていました。丁度松の木地区を去年までとは逆回りする運行になりました。

 

●これは、西園寺穂純が小ホームページ上の企画「新居浜太鼓祭り88か所掲示板仕様」で展開していた巡回録において、「何故か川東西部(川東時代を含む。)の太鼓台行列は沢津自治会館前を通過しない」と記していたことと少しでも関連性があるのでしょうか。これを受けて対応したものならばちょっと嬉しい気もします。きっと西部の役員も小記事をご覧なのでしょう。さて、その変更が太鼓台列の進行に一瞬の隙を与えてしまったのかも知れないのです。大変な事態を引き起こしてしまいました。

 

●去年の喧嘩で浮島、宇高は運行自粛のため今年は6台運行です。松乃木、澤津、東雲、町、本郷、山端の順で松の木入りをしましたが、たまもタクシー交差点で澤津先頭に順序変えするため、松乃木はバス通りを東側パチンコ店前で待機、澤津は沢津自治会館方面へ進行、東雲は松乃木に続いてパチンコ店側へ、そして町は沢津自治会館側へ、続いて本郷も南側へ進みました。次の山端も南側へ行って、東雲と松乃木がそれに続く段取りでしょう。このまま行くと山端の次に東雲が追走する形になるのか、少し不安を感じながら、私は交差点北側で沢津自治会館方面を見つめていました。

 

●このまま行きはしなかったが不安は的中した。本郷の次に交差点内に山端が出てきたが、何と裸だ。何ら大声をあげるわけでもなく、ひたすら東に向けて走る。速い、もの凄く速い。東雲は構える様子もなく東へ引くが山端追いつく。ここに東に高津、西に垣生という逆ポジションの対戦が始まった。私は、この時点で勝負あったと思った。瞬殺などという言葉があるが、東雲は何らなす術もなく山端の早業にやられると思った。

 

●私は、町ファンであるから、山端にも東雲にもどちらにもそれ程の思い入れはない。垣生と高津という構図ではあるが、垣生内では町と山端はライバル関係にあったので山端を心の底からは応援できない。かと言って東雲も私とは全く無関係の地区である。どちらが勝っても負けても関係ない。でも強いてどちらかと言うと、そう簡単に新参者に勝たせる訳にはいかないから山端に勝って欲しい。

 

●山端はかつて八旛巧者と呼ばれ、昭和46年澤津戦以来近戦歴はないが百戦錬磨の老獪な太鼓台。加えて東雲は処女戦である。東雲には気の毒だが、実力的には断然山端だろうから、軽く揉んだら手加減してやってくれ程度に考えていた。実際、山端は動きが良いが、東雲は動かない。予想通りだ。数回突いたところでガッツポーズが出た。ところが手が挙がったのは何と東雲の方だった。勝負の神様は気まぐれなのか、攻め続けた山端の太鼓が割れて勝負あり。まさかまさかの大金星献上となった。仕掛けて負ける最も情けない結果だ。

 

●この喧嘩には至った経過など止むを得ない事情があったことは薄々承知している。喧嘩自体は仕方がないのかも知れないが、ここから後の行動が王者山端の評判を下げてしまったようだ。こんな無様な山端は見たくなかった。上水引の眠り猫が泣いていた。山端には再来年に向けて流石山端という復活を是非見せていただきたい。

 

●東雲は結果オーライということも出来ようが、反省点だらけであろう。一般論として奇襲攻撃をかけられれば大敗を覚悟しなければならない。何故、立ち合いであれほど焦らなければならなったのかを検証して今後に備えて欲しい。噂があったのならばこそ、各遭遇ポイントには必ず間者を仕立て、伝令系統を確立するなどしておけば、がっぷり四つで戦えた筈だ。これこそが怪我防止の決め手であると思う。

 

●喧嘩後、太鼓行列は再開された。記念すべき沢津自治会館前で写真を撮影したが3葉しかない。澤津太鼓台の右前指揮者の仕草が迎えた太鼓台によって大きく異なる。

 

 

 

 

●沢津自治会館前で花束贈呈したら喫茶ピエロの巣前での贈呈は無いのかと思ったら、こちらでもあった。ここでは御花御礼幕が出ていたが、阿島、宇高、東雲、白浜、東浜、町及び松乃木(五十音順)の各太鼓台が澤津と友好太鼓台ということか。枕の四文字熟語が興味深い。

 

 

●河川敷公園に入る頃には雨も強くなり、4台になった各太鼓台は形ばかりの入場を終え順位をつけるかきくらべは実施されることもなく早々に退散した。

 

楽日は八旛神社神幸祭を最初から最後までついて回りたいと毎年のように思う。朝7時半スタートなのがネックとなって未だ実現しいていない。もうすぐ定年になるから実現も近いだろうが、今年は10時半の沢津地区から同行した。八旛神社神輿はトラック、神官さんらはタクシー巡行だが、にわか巫女さんもちゃんと浦安の舞を舞う。これだけでもお祭りらしい。

 

 

 

●午後から八旛神社を訪れる。西園寺穂純が最終日八旛宮入りを見るのは平成15年以来8年ぶりのことである。ずいぶん間が空いてしまったがそれほどの実感はない。きっとインターネットでの画像を良く見ているからだろう。

 

●西部の太鼓台4台は浮島自治会館前から弁財天公園を目指すが今年は玉垣沿いコースではなく真っすぐ東進コースのようだ。代わって神社前には川東運営委所属の6台が東から到着する。見分するに又野の重旗が初見だった。続いて下郷・又野・松神子運営委所属の3台も東から続く。

 

 

●機は熟したと思えども何時になっても入場しない。一体どうなっているのだろう。運営委員の様子を見ているとチェックリストがどうかしたとか言っている。なるほどチェックは大切だ。ようやく入場を始めたが後続が遅々として進まない。今年の運行機序は、拝殿前に先発の太鼓台が居る場合には新規入場は行わせず、入場中の太鼓台がある場合には本殿回り中の太鼓台の運行も拝殿東側の狛犬ラインで待機させるという拝殿前1台オンリー規則のようだ。なるほどの喧嘩原因排除ルールだが、これはで時間がかかり過ぎる。午後6時に解散しなければならない約束なのだが大丈夫なのか。

 

●宮入りでは澤津の所作が格段に上手く、放り上げを10数回以上続けていた。平成9年の多喜浜駅前の演技も凄かったが、これはそれを上回る出来でしょう。この場に山端が居ないので、八旛で魅せる要素が薄いのではないかと心配されたが、山端のそれをリカバリーするに十分過ぎる渾身の出来だった。

 

●全太鼓台が定位置に着座したらもう6時近かった。ここからひとモメふたモメあるかも知れないのは承知だったが、帰らねばならない。

 

 

以下は、YouTubeなどビデオ観戦記であります。

 

●中日、午後からは激しい雨の中になり、当然のように各行事は中止となりました。が、山根グランドと多喜浜駅前は規模を縮小しながらも統一行動自体は強行したようです。この2箇所の統一行動については、これを当て込んだ新居浜太鼓祭り見学ツアーなどの商品が相当数販売されており、区々の考えがあったものと思います。

 

●昔と違って透明ビニール合羽の透過性能向上もあって、全く見せられないものではありませんが、「太鼓(台)と(プロ)野球は雨なら中止」という昔からの諦め文句も説得力大有りです。激しい雨の中での運行は、所作のしにくさ、低温によるかき夫の体力消耗、飾り類の湿り、泥はねなどマイナス要素が大きく、事故にも繋がりかねません。雨でも運行というかき夫の心意気を高く評価してもなおであります。

 

●楽日、川東の退社時、参道南側で差し上げていた東浜が落とした後、北向いてやってくる。境内東側には町、西側には松乃木が鎮座しているが、松乃木に向けた。これは珍しいし普段の年なら面白い趣向だなとは思うが、今年は八旛内では挑発行為をとらないという確認事項があったのではなかったか。どう考えてもこれはいけません。

 

●続いて、松神子が自陣で挑発仕草を見せる。そんなもんじゃないだろう。この挑発しようとする行為、これこそがギャンブル。阿島はこの挑発行為を気にかけながらも大所高所からの視線から帰途につく。宮を後にする阿島の後ろ姿に自然と大拍手が湧き起こった。

 

楠崎は順番を無視してへ突進する。町も出てきたが奮戦場所が狛犬に近く危険だ。挑発や小競り合い目的ならばそろそろ引かないといけないが、楠崎の攻撃は執拗だ。更に、前棒を高く上げてのポジション取りは川西の太鼓台が採る戦法だ。

 

●残念ながらビデオではここまで。宮でこれだけ混乱させてしまったのだから、来年の川東3委の統一はおろか、合同かきくらべも事実上困難で、3委区域内限定行動とせざるを得ないだろう。

 

●川西では、船御幸後、東町が武装したまま西町を追わえ回し数回衝突させたが、その後太鼓ごと西町に占領され、鳴りもの太鼓損傷とのことです。

 

●江口の重の旗が金刺繍のものに変更されていました。白抜きこそが美しいと思うのです。

 

●以下は、運営委にお願いです。

 

●中日、山端東雲戦があったことについてマスコミから聞かれた川東西部運営委員長は、「ノーコメント」だと返答したようです。配下の太鼓台が不祥事を起こしたことに対し、責任ある立場にある者は、仮に嘘でも「種々の回避策を講じたが喧嘩が発生してしまった。遺憾です」といった趣旨のことを発言すべきで、ノーコメントとはかなり無責任と捉えられます。そればかりか、西部運営委は喧嘩を知っているのに知らん顔した、或いは支援した、又は増長させたのではないか、西部運営委は喧嘩に甘いという認識を持たれてしまったのではないかと大いに心配しています。

 

●八旛神社統一行動については、西園寺穂純は宮入り本殿回り拝殿前差し上げまでが神事だと考ええています。この神事が済むまでは他所の太鼓台に邪魔されないようにはならないものでしょうか。西部単独宮入りならばその心配は無いのですが、本年のように川東合同で、本氏子の太鼓台が宮入りするより先に氏子以外の太鼓台が宮に入っているのは氏子としてかなり違和感があります。仮に合同であっても昭和時代のように西部先入り後出しで進行するよう提案します。

 

●現在の八旛神社かきくらべは、宮入り本殿回りの最中の一部分を切り取ってコンテストとしていますが、本来この時間帯は神事中であります。神様に大変失礼な事をしているのではないでしょうか。かきくらべは神事以外のところですべきです。昔のように本殿回り後、東陣、西陣に並べた後、数台ごとに組分けして実施して欲しいです。短パンの町、緑ジャージの本郷、紺シャツの山端の3台写真を再現したいです。

 

2012

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(天気表出典goo松山の過去の天気)

 

 

 (010823令和上梓)
(010902
天気加筆)
(020813
体裁変更)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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