太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム

西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(24)

 

 

平成1716()17()18() 松山C専2年目

 

●平成17年は松乃木太鼓台の新営と角野新田、中須賀、西町各太鼓台の新調が重なり、本祭り前からお披露目運行が各地で行われるなど祭り前からの盛り上がりも相当なものでした。加えて、台風被害など祭り運営を阻害する要素は見当たらない、秋の喜びをいっぱいに享受できる嬉しい祭りになりました。

 

●本祭り前の10月2日(日)、中須賀太鼓台の新調お披露目の日、私は、午後沢津を訪ねました。午後2時頃から新調の中須賀太鼓台が新高橋を渡り沢津漁港まで運行するイベントに新営の松乃木太鼓台が同行するという豪華なプレ祭りがありました。午後1時ごろ労災病院に着き、有料駐車場に車を置きました。まだ祭りの予感はしませんが、周囲の雰囲気は何かざわざわしていて、同好の士も大勢居そうです。少しぶらぶらしましたが、居ても立っても居られなくなり、自治会館まで行ってみることにしました。私のお目当ては、新調中須賀もさることながら、新居浜49台目、川東西部8台目、八旛氏子7台目の太鼓台新営松乃木太鼓台の出来具合いが気になって気になって仕方なかったのでありました。

 

●労災病院から東へ歩き、西沢津バス停を過ぎ、たまもタクシー交差点を北行きすれば松の木自治会館があります。松乃木太鼓台はちょうど自治会館を出るところでした。松乃木太鼓台の様子はインターネット画像で見たことはありましたが、生松乃木にはこれが初対面でした。松乃木はたまもタクシー交差点から東進し、サークルK宇高店で時間調整した後、労災病院近くの喫茶ピエロの巣三叉路付近で中須賀を待ちます。指揮者が前棒を上げて房をしまうように指示していました。これじゃ、まるでケンカスタイルですが、良いのでしょうか。

 

●さて、西方を眺むれば、少し賑やかになってきた様子です。中須賀です。西進して新高橋を渡る中須賀太鼓台を初めて見ます。天幕が最初に見えましたが、去年までより桝目が大きくなったような気がしました。指揮者が法被なのも良い感じです。中須賀が松乃木を見つけました。指揮者が「ウヒョー、房しもとるぞ〜」などといいながら早足になりました。

 

●あっという間に労災病院を過ぎ、2台の太鼓台は喫茶ピエロの巣前で交わります。松乃木と中須賀は川西スタイルのケンカルックを展開しましたが、すべて舁き夫、観客の顔は満面の笑みです。私の心も、嬉しさのあまり、体中の血がぐるぐる回っているのが分かります。とにかく嬉しいです。

 

●さて、松乃木太鼓台の模様を見分しましょう。ちょっと見た感じはまるで先代中須賀太鼓台でしたが、いろいろな箇所で変更が施されていました。天幕はいわゆる旭天幕のようです。太陽の部分はもちろん赤色ですが、旭光の部分には青色が入っています。この図柄は過去にどの太鼓台も着けたことがないと思います。わざと、重の頂点からセンター位置をずらして着けているようにも思えます。正面と向面とでは見え方が全然違います。正面からは真っ赤な太陽が、向面からは旭光が多く見えます。重の旗は松乃木の文字を金糸で円くデザインしたものが4枚でした。

 

●括りの巻き布と幕の貫きは臙脂色、中須賀カラーですからえび茶色という方が正しいのでしょうか。幕は中須賀でお馴染みだったあの豪華な幕でした。符号の部分を錨から巴に縫い直していましたが、見慣れていないせいか少し違和感がありました。名札はついていませんでした。松乃木太鼓台お披露目の時には、子供太鼓台と同様のゴシック体で縫われた名札があり、唯一松の木テイストを感じたのですが、外されていました。今後が心配です。

 

●法被もえび茶色、背文字は松乃木の枠囲みです。裾には三つ寄せ松の模様がありました。特殊法被は背文字が金色です。松乃木の法被は全体に澤津太鼓台のそれを思い出させます。良く似た法被は友好の証でしょうか。襟には八旛神社氏子中と書かれています。氏子中は少し異議ありの感もあります。八旛神社氏子とか八旛神社祭礼の方が良かったかなと思います。

 

●中須賀と松乃木が2台横に並びました。新調したて縫いたての中須賀太鼓台の美しさは皆が認めるところでしょうが、松乃木の幕も全然見た目負けしていません。むしろ、更に貫禄を増したようにさえ思います。純金・本金の幕が少ない川東・川東西部の中では古いながらも他とは違ういぶし銀的な異彩を放ち続けることでしょう。

 

●このあと、両太鼓台は北行し沢津漁港を目指しました。中須賀は漁港入りしてからも清水町内有力者宅でしょうか、一軒ずつ軒付けするように運行していました。西端まで運行していた中須賀が、また早足になり、今度は指揮者が「お〜い、幕外しとるぞ〜」と言って舁き夫を鼓舞し、松乃木相手にケンカルック第2弾のご披露という幕もありました。場内は、いつの間にか、もの凄い人出となりました。本祭りまで2週間あまりありますが、一早く本祭りモードに突入してしまいました。

 

●次に、新調中須賀を見分します。ちょっと見は先代と変わりませんが、幕図柄が変更になっています。先代では高覧幕にあった清盛の日招き4枚続きがそっくりそのまま上水引に移動して、新しく高欄幕には志度寺海女玉取りを復活させていました。こちらも4枚続きです。玉取りと言えば楠崎太鼓台に例がありますが、部分の配置が少し異なっていました。正面に龍頭と海女を一緒に描いた構成です。

 

●新調中須賀太鼓台の正面は、上水引に清盛の図、高覧幕に海女の図がセットされて、とても豪華に見えます。正面がこれほど美しい太鼓台はそうザラにはないと思います。全体としても流石の金糸の輝きが奥深しくも神々しく、2〜3年後にはもう後光が差しているのではないかと期待が持てます。符号の錨も手が込んでいます。何と言っても、紅白の貫きが美しさと上品さ中須賀らしさを総合演出しています。

 

●布団締めは宝珠龍の尻尾が跳ねていて、剣龍の剣の向きが左向きという新居浜では珍しいタイプでしたが、先代を踏襲されていました。房は、少し水色が効いていて綺麗でした。括りの巻き布の色は白で、変更はありませんでした。白色の巻きは、川西の西方で3台揃いにしていますが、中須賀の白は、全体が盛り沢山の太鼓台だけに、全体をシャープに見せる重要な役割を果たしているのだなとつくづくと感じました。

 

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今年はカレンダーが微妙です。初日は日曜日ですので八旛統一氏参りは確定です。月曜日を休んで初日・中日の2日観戦になりました。新調中須賀は既に見ましたので、今年は川東西部・川東オンリーです。

 

●今年の八旛神社統一氏参りも是非見たいと思いました。計画に怠りはなかったのですが、起きるのが30分遅く、八旛到着も午前8時半ぐらいになってしまいました。既に八旛神社にはすべての太鼓台が入っているようです。近くに車を置いて、神社に駆けつけます。各太鼓台は、既に本殿周りも終えているようですが、まだ全部は整列していませんでした。新営松乃木は整列済みです。ちょうど澤津が横付けしているところでした。何と、澤津の指揮者が町の鉢巻をしています。名コンビ復活か、私はとても嬉しくなりました。

 

●今年の並び順は、西から東雲、宇高、澤津、松乃木、浮島、町、本郷、山端でした。松乃木がどの位置に入るのか注目でした。従来通りならば、東雲、澤津、宇高、浮島、町、本郷、山端の順です。統一氏参りといっても一応東雲はゲストですから大外は当然としても、松乃木は浮島小校区ですので、宇高の後に入るのかと思いましたが、澤津の次でした。澤津の分かれ太鼓という扱いなのでしょうか。それにしても、宇高の位置が理解し難いです。本祭り前に何かあったのでしょうか。

 

●今年の注目点は、松乃木太鼓台の本祭り初登場時の模様と町太鼓台の飾り幕修復状態の確認です。松乃木は、沢津漁港の時と比べて大きな変更点がありました。名札がえび茶色の物に着け替えられていたのです。これでは、ますます中須賀太鼓台になってしまいます。自治会運営の暁には是非ゴシック名札に戻して欲しいと思います。さて、町の幕ですが、着け方がいつもと違っていました。普通は正面と向面に御殿ものを、側面には禽獣ものを集めた独特の幕配置なのですが、今日は禽獣が正面に来ています。何か意図的なものを感じます。あれしか考えられない気が…。幕の損傷部はあまり気になりませんでした。名札の字体が変更になっていました。

 

●神事が厳かに執り行われています。ありゃ、松乃木太鼓台は前後ろが逆です。拝殿にケツを向けたままの状態で神事に臨んでいます。意図したのか、気づかなかったのか知りませんが、最初から大チョンボです。

 

●他の太鼓台に大きな変化はありません。装束では、宇高の青色ジャージが見えなくなり、法被同系色のジャージになりました。それに伴って背文字と巴紋は黄色に変わりました。澤津の法被に背文字の字体違いが出現しました。自治会公認なのかバッタもんなのかは不明です。

 

●今年は、ここで記念写真を撮るようです。祭り独特のざわざわ感の中で一瞬だけ時間が止まります。こうして見ると、8台とは増えたものです。これが統一行動には最適の台数でしょう。祭り前、祭り雀の間では、川西の太鼓台を導入した松乃木は、八旛太鼓の中では小ささが目立つのではないかと噂されていましたが、それほど違和感は感じませんでした。8台の太鼓台を並べると、山端が渋い良い味が出てきたような気がします。あと20年はこのままの姿を見せて欲しいと思います。

 

●解散時、山端からの退場でしたが、そのまま退場すると見せかけて、大きく右に棒を振って、澤津に棒を向けます。先に、町・澤津が鉢巻パフォーマンスを見せたので、ならばオールドライクに山端も、という趣向だと私には思えました。ここはご愛嬌、山端もなかなかやるじゃないか、私はますます嬉しくなりました。澤津も反応することはありませんでした。

 

●この後、各太鼓台は浮島小、高津小及び垣生小にお祭り集会に参加します。私は、全ての会場を巡回することができました。中でも、浮島小学校で松乃木太鼓台の高欄幕をじっくり見るチャンスに恵まれました。

 

●午後は、労災前や多喜浜駅前などでプチ統一行動みたいな太鼓台を多く目にしました。特に、多喜浜駅前広場において4台で統一休憩をする本郷・松神子・又野・楠崎の姿を見たときは少しショックでした。

 

中日の午前中は、河川敷公園統一行動です。今年から、松の木入りが加わりましたので、下原バス停留所から直線距離でどれ程もないところ、宇高、東雲、沢津、松の木と大回りして再び沢津に戻り、労災前、新高橋(東方のみ)そして河川敷小半坂と続きます。

 

●私は南沢津といわれた旧鉱山の社宅跡付近で太鼓台の行列に合流しました。去年までは沢津の本部落を通過していたのですが、今年は旧バス通りに変更になりました。太鼓台群は、旧県道との突き当たり三叉路を右折して一旦東に戻り、たまもタクシー交差点から松の木入りします。松の木自治会館前に櫓が立って花束贈呈が行われました。太鼓台は高津保育園の角を南に折れ、中華料理店の所から旧県道に復します。

 

●西沢津バス停は通過点になってしまいました。個人的に大好きな風景だったので、とても残念ですが、致し方ないでしょう。太鼓台は喫茶ピエロの巣付近で澤津太鼓台から花束贈呈です。さて、労災前に進んだ太鼓台の順番は、澤津、松乃木、宇高、東雲の順です。

 

●河川敷入場もこの順番でした。1番澤津は動きません。よく舁いていて、場内にチョーイトセージャーが響きます。さあ、2番手は松乃木です。公式初舁きは如何でしょうか。落とさないでくれと祈ります。松乃木の動きは、浮島の新営の時の方が上手だったように思いますが、ここは上出来の部類でしょう。差し上げもなかなか決まっています。掛け声がチョーイトセージャーじゃなかったのが少し残念ですが、まずは一安心です。

 

●一安心も束の間、3番手の宇高が本部前を過ぎたころに、澤津が太鼓台を動かしました。場所を移動するのか?(でもそこは定位置やし)どこへ持っていくのか?(松乃木と宇高しか入ってないし、浮島や町を迎えに行くのか、本郷や山端の入場を阻止しようとしたのか、およそ考えつく可能性を探しましたが理解できませんでした。)エーッ?何をするのじゃ?観衆の99%の人たちが皆そう思ったに違いありません。

 

澤津宇高に棒を向けました。宇高も躊躇しませんでした。ここに、珍しい取組の戦いが展開されました。一時場内騒然としましたが、太鼓台のケンカには至りませんでした。唖然として見つめる土手上の太鼓台が印象的でした。澤津としては、他の太鼓台に邪魔されないこの瞬間しかなかったのでしょう。新居浜太鼓祭りは今年も荒れ模様の様相確定です。

 

●澤津と宇高はもともと組んどる同士ではありませんでしたが、同じ高津小校区ということで、最近は仲良くしていたと思っていました。どういう経緯があったのか外野からはさっぱり分かりません。昨日の統一氏参りの様子といい、今日の行動といい、今年の西部は少し変です。

 

●8台入場後に、揃っての舁き比べも行われましたが、昨年同様、本郷が落とした後すぐに宇高に向けました。宇高は早から2戦目のお勤めです。例年通りならば、舁き比べ審査集計後すぐに運営委から結果発表があって、上位入賞太鼓台の太鼓台がご披露されるのですが、今年それはありませんでした。松乃木が優勝だったらしいことは後日知りました。

 

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(天気表出典goo松山の過去の天気)

 

 

 (010823令和上梓)
(010901
天気加筆)
(020812
体裁変更)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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