太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム

西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(22)

 

 

平成1516()17()18() 松山2年目

 

●今年は最終日が土曜日です。確実に土曜日は祭り見物が出来ると密かにほくそ笑んでいたところ、不思議ふしぎと仕事が外れていき、初日の午後3時ごろ自由の身体になりました。翌日も休みです。明日からじっくり見えますので今日は出向かなくても良いのですが、自然と体が新居浜を目指します。

 

●新居浜インターチェンジを降りたのが、午後4時ぐらいだったか4時半ぐらいだったかでした。車中のラジオでは南海放送のレポーターが市内各所から祭り状況のレポートをしていました。さて、この時間帯は新居浜東港の垣生プラス浮島と神郷の棒合わせ大会が終わったころかなと思いました。もし終わっていても、新田の布団締めにも興味があるしと思い、東港向けて車を走らせました。

 

●東港にまだ太鼓台は居ました。車のままフェリー乗り場の方へ行こうと思いましたが、物凄い渋滞で進めません。何だか周囲の様子が変です。太鼓大橋南詰東側に田の上太鼓台が佇んでいました。高欄幕を外しています。

 

●ノロノロ運転で少しだけ北に進みますと、町の旗をつけた軽四輪車の荷台に町太鼓台の飾り幕が載せられていて、その車が垣生山側へ出たのが見えました。まさかの気持ちが心を過ぎります。

 

●それからは微動だにしなくなり、太鼓台が解散するに任せました。周りの人達が携帯電話をする内容を漏れ聞きますと、「町と田の上がけんかになった」とのことです。けんかした言うたかて、まだ初日やし、それと町と田の上は少なくともここ50年位は対戦暦は無いはずだし…。去年中日、多喜浜駅前の統一かきくらべで田の上が町を挑発していたということは聞いたことがありますが…。去年新調の田の上がけんかするか〜?何とも解せません。

 

●まあちょっとした小競り合いだったのでしょう、まあ明日を楽しみにしましょうと東港を後にしました。川東をぐるりと一周してもどこにも太鼓台と出会いませんでしたので、再び東港に戻ってきました。途中江の口交差点方面に向かう田の上太鼓台に遭遇しました。特に異常には気が付きませんでした。

 

●東港付近には太鼓台も観客も居ませんでしたが、フェリー乗り場西側の倉庫様の建物の作業ヤードみたいな箇所に川東西部地区運営委員会の車があり、運営委員が集められ直立不動で警察と思しき方々と何か話をされていました。途中から川東地区運営委員会の車も来ました。ひょっとしたら大事なのかも知れません。

 

●今日は新居浜の旧友宅に泊まります。帰り道、ぼんやりと喧嘩の組合せのことを考えていました。昭和時代には、町は澤津と組んでいて、田の上は宇高と組んでいました。ところが、町・澤津組は本郷・山端組と、田の上・宇高組は松神子・又野・楠崎組との対戦が多く、町・澤津組と田の上・宇高組の対戦はそれほどなかったと思います。もちろん、まるっきりなかったわけではなく、町対宇高の対戦は昭和45年と昭和63年に、澤津対田の上は昭和44年に対戦歴がありますが、澤津対宇高、町対田の上の対戦は記憶にありません。

 

●旧友宅でびっくり情報が飛び込んできました。「町と田の上のけんかは激しいもので、両太鼓台とも太鼓が割られた。両太鼓台には解体命令が出た」というものです。そっ、そんなバカな!今年は町太鼓台を見られないのか?来年も危ないかも知れない。何て事だ。

 

中日17日、例によって私の見物場所は国領川河川敷公園統一行動です。予定時刻少し前に行って西沢津バス停付近から見るのが私のやり方です。さて、町太鼓台はどうなのか?澤津・宇高・東雲・浮島…その次は本郷でした。ひょっとしたらフェイントで山端の後ろに隠れているのではないかとも思いましたが、そんな訳はありませんでした。

 

●みんなメンメに昨日の町と田の上のけんかのことを口にしていました。皆の話を総合すると、「休憩中の町太鼓台を田の上太鼓台が急襲した。ケンカは仕方がないが、初日からしたらいかん。最終日にせんけや。ここに町が居らんのは寂しいのう」と言うものが大半を占めていました。ここは川東西部の統一行動ですから町贔屓の声が多く聞こえました。

 

●統一行動は例年とは違って、澤津・宇高・東雲は新高橋へは進まずに、浮島・本郷・山端だけが橋上に行きました。折角だから全部上げて欲しかったです。コナカラ坂からの進入はどこも苦戦でしたが、東雲と山端が上手かったと思います。浮島は本部車輌前で差し上げに失敗し車輌と接触しそうになっていました。

 

●澤津は青年団のジャンパーが従来よりも赤っぽい物に変更されていました。左胸に重の旗と同じ字体で「左和津」、そして背中のトップに先々代の重の旗にあった「サが輪になって中に津の字」のデザインの刺繍がありました。思わず懐かしいと感嘆してしまいました。

 

 

●東雲太鼓台の青年団ジャンパー?に背中トップに丸東雲のデザインのものが新たに出来ていました。

 

●浮島も大きな変更がありました。重の旗をこげ茶色地に金刺繍のものとしていました。デザインは丸浮マークでした。この丸浮マークは、浮島自治会が町太鼓台に参加していた頃、白色ズボンのお尻のポケット部分にプリントしていたマークです。こちらも懐かしさについ感涙でした。

 

 

●本郷太鼓台もどこか変わったような感じがありましたが、どこがどう変化したかは分かりませんでした。

 

●かきくらべは予想どおり山端が優勝しました。統一行動は何の小競り合いもなく終了しました。町が居らんと寂しいにゃ〜。

 

昼からはどこへ行こうかと悩みます。山根グランドへ行けば新調の高祖太鼓台や元船木太鼓台を見ることが出来ますし、子供太鼓台の写真が沢山撮れます。心が大きく揺れましたが、川東の様子が気になって結局は多喜浜駅前にしました。

 

●江の口交差点を田の上方面に進む川東地区の太鼓台群が目に入りました。最後尾の阿島太鼓台について歩きます。祭り中日に榎之本広場に来るのは25年ぶりぐらいじゃないかと思います。黒いジャンパーを着た青年団風の方々を多くお見かけしました。

 

●太鼓台は田の上を通過して下郷に向かうようです。先回りして下郷自治会館前で待ちます。ここにはテレビ局の方がストップウォッチを持って何か計っていました。明日のテレビ中継の場所が田の上から下郷に変わったのでしょう。

 

●下郷から多喜浜駅前まで歩を進めますと、川東西部の一番バッターの浮島太鼓台が入場演技を開始したばかりでした。西部地区6台の中では澤津が上手かったと思います。徐々に黄昏て行き、川東分が入場するともう真っ暗でした。川東8台では、常連組みに加えて今年は白浜の演技が目立っていました。かきくらべコンテストでは1位白浜2位宇高3位松神子でした。私のランク付けとは少し異なりました。今年から、一般公募した審査員が決めているようです。

 

 

●多喜浜駅前でも太鼓雀の話題は昨日の町と田の上のけんかのことで持ちきりでした。ここでは「田の上太鼓台は町太鼓台に挑発されて仕方なかった」といった田の上贔屓の言葉が多く聞かれました。しかし、町太鼓台に同情的な発言も多く聞かれ、私は、両者は舁き棒の長さが大きく違っていたらしいことを知りました。町太鼓台ファンの私は少し納得したような安堵感を覚えました。

 

●さて、会場では全台一斉の差し上げを行うようです。大丈夫かなと思っていましたら、悪いことに心配事は的中してしまいました。松神子太鼓台が澤津太鼓台に挑発行為を行っています。既に川東と川東西部との間でけんかが発生している現状での挑発行為は火に油を注ぐようなもの。おまけに相手が最もガイな澤津太鼓台とあっては、即刻のけんかは避けられず、今年の祭りは全てが終わったかと思いました。

 

●しかし、目の前には私には信じられない光景が展開しました。あの澤津太鼓台が挑発を前にしても何も反応していません。あ〜これは良かった、明日も祭りはあります。本当に素晴らしい澤津太鼓台の雄姿でした。天晴れ!澤津太鼓台!!

 

●何が情けないカニが情けないと言っても、挑発しに行って無視される姿ほど情けが辛いものはありません。大勢の観衆を前に自ら間抜けピエロを演じることになってしまいます。挑発行為自体は決して悪いことだと思いませんが、場の空気を読むことと、相手が拒否したならば直ぐ引くことが大切だと思いました。

 

最終日は午前中、東港の川東船御幸を見に行きました。と言いましても、新居浜入りが10時半ぐらいになりましたので、近場までは行けず、黒島側から豆粒みたいな太鼓台らしきものを見ました。

 

●午後、元エビスセンター前で西部地区の太鼓台を待っていますと、澤津が来ませんでした。太鼓雀の話では、棒を直しているので参加が遅れているとか既に解体したとか色んな情報が錯綜していました。どうも、昨日の松神子太鼓台の挑発が原因しているのでしょう。

 

●西部地区の太鼓台は、八幡前まで戻し、浮島東から弁財天公園を折り返すはずです。私は本郷自治会館前で川東の太鼓台の通過を見届けることにしました。こちらも少し遅れて来ました。新調なった新田太鼓台の布団締めをじっくり見せていただきました。伝統を引き継いだ好感の持てる布団締めが仕上がっていました。

 

●神社に戻ります。澤津太鼓台が解体したことを太鼓雀が携帯電話で話しているのを盗み聞きしました。一昨日の町に続いて今日は澤津が欠場。私の好きな2台の太鼓台が相次いで不参加となってしまいました。去年一昨年は澤津が欠場しても町が居るから、今年と来年は町が欠場しても澤津が居るから、と心の中で言い聞かせてきましたが、両方とも欠場じゃあいったい何を楽しみにすれば良いのでしょうか?この八旛神社境内であのHNKホールで見せた万人が腰を抜かすような物凄い放り上げを期待していたのですが、来年に持ち越しです。この怒りを何にぶつけたら良いのでしょうか!

 

●気を取り直して見物を続けます。八旛神社宮入りは多喜浜分から入り始め、神郷続いて高津最後に垣生の順番のようです。ここで初めて、場内アナウンスおばさんのご尊顔を拝見させていただきました。原稿は昨日の多喜浜駅前と同じ物のようで、もう何年も使いまわしているのでしょう。某太鼓台では、未だに人間国宝であらせられた梶内云々とアナウンスされています。これだけはもうエエ加減に止めて欲しいと思います。

 

 

●さて今回、私は本殿裏に陣取り、各太鼓台が本殿裏でどんな振る舞いをしているのかを観察することにしました。市販ビデオでは決して映らない所で、上位入賞常連の太鼓台は本当に本殿裏でも落さないで舁き続けたまま本殿前まで戻ってきているのかをこの目で確かめたいからです。

 

●山端太鼓台は本当に落としませんでした。私は山端に付いて本殿を廻り、物凄い感動を覚えていたところで、前方では阿島と本郷が即戦闘モードに入っていて、自分も人の流れに押され、本殿前に出てしまいました。うわーっ、八旛さんの中で揉みくちゃにされるのは久しぶりです。生きている満足感と下手すりゃ自分も怪我してしまう焦燥感が交錯し、何ともいえない祭り脳内物質大放出グチョグチョ感を味わいました。

 

●もみ合う最中、阿島太鼓台に運営委員会から退場命令が出されました。阿島太鼓台も従うはずがないだろう、退場するふりをして本郷に持っていくものだと思っていましたら、あっさり退場しました。

 

●かきくらべ結果は、1位山端2位宇高3位下郷でした。校区ごとのかきくらべが行われていた時間帯に、私は八旛神社を後にしました。

 

2003

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