太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム

西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(17)

 

 

平成1016()17()18() 復活の松山1年目

 

●太鼓台ファンの願いが届いたのか、上部は泉川の下泉太鼓台が復活しました。これで、新居浜で昭和40年代に運行されていた太鼓台の全て35台が出揃いました。昭和40年代前半には、川西8台、川東13台、上部12台(中萩2台、角野3台、泉川3台、船木4台)大生院2台が運行されていましたが、同後半から50年代前半にかけての新調ラッシュに取り残された形で、川東では郷の又野、楠崎と多喜浜の白浜の3台、大生院の下本郷、上部では泉川地区の上泉、下泉、松木坂井の3台が姿を消していました。川東の3台と下本郷は昭和60年ごろ相次いで復活し、平成になってようやく上泉、松木坂井の2台が復活していましたが、下泉だけが動きを見せていなかったものです。多くの市民は名門下泉の復活を心から待ち望んでいたのでした。

 

●祭りの10日程も前に、愛媛朝日テレビが自治会館?前で運行の練習をしているという下泉太鼓台を生中継しました。幕が重厚な何とも言えない良い光を放っています。糸は純金に近い物を使っていると感じます。藤野縫師の作です。幕の特徴は通称「石橋」と呼ばれている獅子ものの武者絵があるのと、名古屋城の高欄幕を下げていることです。5層の天守閣の遠景を描いた図と、2匹の鯱が「名古屋城」と書いた額を挟んでいる特徴ある図柄が鼓幕ファンには有名でしたが、昭和50年頃まで田之上太鼓台につけられていたところ、土居町の中村太鼓台に移り新居浜では見られなくなっていたものでした。テレビでは遠景の図柄の幕は映っていただけで、2匹の鯱の図は見られませんでしたが、裏側にはついているのでしょうか。天幕は赤白青の市松Aタイプで、黄色の括りの巻き布、手旗は橙色、法被の背文字は下泉で、襟には下泉太鼓台、五穀豊穣と書かれてありました。こういったキャッチフレーズ入りの法被は最近では珍しくなりました。

 

●この鯱の幕は奇しくも、最近復活した喜光地太鼓台につけられていましたが、その喜光地太鼓台も今年は幕の新調に漕ぎ着けました。布団締めは左竜が跳ね尾になっているのが大きな特徴ですが、これには違和感はありません。上水引や高欄幕は色糸を多く使っていて反物の風景画のような感じがして、金糸の美しさや輝きを見せる昨今の新居浜太鼓台の幕とは大きくその考え方を違えています。

 

●さて、今年は台風10号の影響で大雨が予想されました。新聞等によると、今年の出場台数は36台とのこと、37台と書いてある新聞もあります。いったいどうなっているのでしょうか。川東西部5台、川東7台、上部17台、川西7台又は8台です。去年のケンカに参戦したのは、川東西部の宇高、川東の松神子、川西の久保田、江口、西町、東町の6台だが、どう見ても計算が合いません。何でも、宇高、松神子、久保田は完全欠場、西町は16日の学校行事だけに参加、江口、東町はお咎めなしの堂々?の参加とのこと。私はどんなことがあっても去年ケンカをした太鼓台は一切出場させない方が良いと思うのですが。また、久保田は今年のみならず来年も出場停止とか。この処分には多分に感情論が入っていると思われ、今年は仕方ないとしても来年は出場させなければ全体としての秩序が保てないのではないでしょうか。

 

16日夕方、テレビでM2大生院店前から中継がありましたが、雨の中を巨大ビニールの品評会のといった感じで舁き競べ中継とは程遠いものでした。

 

17日、雨は降っていますがまだ風が強くないので、昼までは何とかなりそうです。午後からはダメでしょう。河川敷公園へ見に行きました。町太鼓台が括りの巻きの色を白色に変更していました。昭和30年代にこの色を使っていたのを覚えていますが、ずいぶん久しぶりです。もともと白で青の年もあったと思いますが、澤津太鼓台との友好関係から黄色に変更して久しかったものです。澤津とも訣別という意味でしょうか。他は変更点ありません。労災病院前で県道を2列で行進。本郷が町と棒端合わせをします。続いて本郷と浮島です。河川敷公園は雨で足許が悪いためここでの舁き競べは中止で、新高橋での着車のままでの舁き競べに変更になりました。新須賀側から、澤津、浮島、町、本郷、山端の順番で並びます。何とも中途半端ですが、市外から観光客もたくさん来ているので中止とも出来ず、形だけ舁き競べをやったことにしようという感じだと思います。舁き競べは横一線だと綺麗に見えますが、縦だと小競り合いの危険があります。おまけに今日は車が着いたままです。本郷と町が再び棒端合わせをしていたところ、2〜3回突付いたところで何故かエキサイト、「今年は(台風で今日の午後も明日も運行は中止になるので)これで終わりじゃから、ケンカせえ」と無茶な声も聞こえます。少しワイワイと騒いだ所で、急におとなしくなり、町が先に棒を降ろし、本郷も従いました。後で人に聞くと早々に警察が割って入ったとのことです。あんなもんで警察に入られたらたまったものではありません。棒端合わせをケンカだと思ったのでしょうか。警察官の太鼓教育も必要かと思いますが、去年の二の舞いにはしたくない気概がひしひしと伝わっては来ます。どちらにしてももう少し楽しませてくれても良いのにと思いました。

 

●午後からは雨も風も強くなって来ましたが、山根グランドも、工場前も、多喜浜駅前も統一行動は予定通り行われたとのことです。明日は完全に無理でしょう。

 

●最終日、台風は足を急速に速めて日本列島を駆け抜けました。お陰様で秋の陽光は顔を見せませんが雨は落ちていません。今日も太鼓台の運行が出来そうです。やっぱり1018日は晴天の特異日なのでしょうか。午後3時頃、船木の新居浜インター付近で統一行動中の船木地区の4太鼓台を見ることが出来ました。一言、美しい。船木の山々の深緑をバックに太鼓台の金色、赤色、青色、緑色、黄色が良く映えています。商店街の中の太鼓台より格段に綺麗でした。

 

●来年は本郷太鼓台が新調となります。大江太鼓台新調の風聞も耳にします。全部の太鼓台が出場して全市民が楽しめる祭りになって欲しいと切望します。

 

●さて研究の方ですが、今年はほとんどまともな姿では太鼓台を見ていないので、特筆する物はありませんが、図書館で「伊予西条だんじりまつり」という本を見つけてその記事の中で新しい発見がありました。この本は西条の祭りに参加する全てのだんじり(楽車)ミコシ(神輿楽車)太鼓台をカラー写真に収めて簡単な解説をつけたもので、個人研究家の私家版として発行されたものですが、すごく良くまとまっており楽車研究のバイブル的存在です。飯積神社の項には発行当時に運行されていた8台の太鼓台が写っていました。この中で、前の上組太鼓台は大谷地区に譲り渡されて2年間運行され、更に土居町の小林地区に移ったものと写真で確認出来ました。もう1点、大生院の下本郷太鼓台は前の下組太鼓台を購入し何年かの間運行されていたことも判明しました。移籍当初の下本郷太鼓台は天幕が今の物と異なり、赤白市松と青白市松とが交互に現れるというその後には例を見ない図柄であったことも分かりました。

 

●土居町では、土居本郷中村小林の3太鼓台が新調なりました。土居本郷は須佐之男命の大蛇退治の図、中村は鶴姫伝説、小林は平清盛の日招き譚の図柄です。土居の太鼓台も年々豪華になってきました。特に中村の上水引の鶴姫伝説の図は4枚続きで新居浜の太鼓台にも見られないオリジナル図柄かと思われます。

 

1998

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(天気表出典goo松山の過去の天気)

 

 

 (010823令和上梓)
(010831
天気加筆)
(020812
体裁変更)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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