太鼓館 西園寺穂純
プライベートルーム

西園寺穂純の新居浜太鼓祭り回想録(12)

 

 

平成5年 16()17()18() 今治2年目

 

●この年は上部・川東(神郷・多喜浜)・川西で出来事がありました。上部では喜光地太鼓台が大復活し、土橋太鼓台本郷(中村)太鼓台が新営されたのです。大生院でも上本郷太鼓台が新営されています。どれも浮島太鼓台の新営に刺激されてのことでしょうが、平和運行の時代ならではの産物です。このうち前3台の太鼓台を3日目に母親を連れて中萩小学校まで見に行きました。

 

●喜光地太鼓台は珍品中の珍品で、幕は相当古く何と幕図柄の浮きの部分は金糸ですが地の部分は銀糸なのです。昔から金糸銀糸の太鼓台などと唄にも歌われていたところ、銀糸の幕なんぞ見たことないがないぞと長年思っていましたが、ついに現物を見たのです。更に図柄は旧田之上太鼓台を彷彿させる名古屋城の幕、もう感動ものでした。符号(幕の上部の飾り文様で氏神紋などを刺繍しているところ)は桐のマークです。市内で桐の象徴章としているのは阿島太鼓台が思い浮かびます。するとこれは旧阿島太鼓台の幕なのでしょうか。こんなことを考えているとワクワクしてきます。

 

●土橋太鼓台は布団締めを新調していましたが、下の幕は借り物の古い幕で登場しました。上水引は日光東照宮の続き図柄であり、これは元々の又野太鼓台で土居の下天満に流出していたものと思います。高欄幕はカンケツ童子の幕で、元々の東浜太鼓台で土居の上天満に流出していたものと思います。

 

●本郷太鼓台も土橋同様布団締めは新調していましたが、下の幕は借り物の古い幕で登場しました。上水引は符号に縮み三文字紋がありました。旧高祖太鼓台の幕だと思います。あの山下八郎師の代表作の一つですが、高祖太鼓台の新調が昭和58年ですから10年ぶり位の登場です。今もって見事な縫いの技術は私の心を捉えて離しませんでした。高欄幕はもう少し古く、図柄は御殿ものではありましたがあまり見たことのない構図でした。

 

●川東(神郷・多喜浜)では新しい試み「船御幸」を始めました。川西の船御幸の裏年に新居浜東港で浮桟橋に乗せるというものです。きっとずっと続いてお客さんを呼べるでしょう。正直言ってヤラレタと思いました。川東での船御幸は私もずっと温めていた構想の一つであったのです。各地区それぞれ目玉となるイベントがあるのに川東西部だけが取り残されてしまった感じがして何とも口惜しい気持ちです。

 

●川西では、最終日午前中早くに昭和通りで東町が奇襲的に西町を攻撃し、損傷を負った西町は修復後復讐を期していたが、東町既に解体済みと知り激怒。その後西町東町自治会館襲撃事件を起しています。前代未聞の不祥事であり、ファンは川西祭りに失望の感を強くしていきました。

 

1993

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(天気表出典goo松山の過去の天気)

 

 

 (010823令和上梓)
(010831
天気加筆)
(020812
体裁変更)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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